同期の近況 

   岩手県立盛岡第一高等学校1968年(昭和43年)卒


43年卒の近況を紹介するページです

 邨野継雄   澤藤隆一   佐々木寛   千葉 伝   一戸-葛西裕子   関 雄幸   今松英悦   玉澤健児と大澤邦雄   星野健秀   戸田公明   細田敬一 
 和嶋憲男   三舩康道   野田真理子 


  邨野継雄君編著『昭和天国と地獄


2002年の邨野君

 平成が終わり令和になりました。昭和はますます遠ざかります。2008年から週刊朝日で不定期連載されてきた「昭和からの遺言」の取材記者は我らが邨野継雄君。戦争を挟んだ激動の昭和という時代を語るのに、この人を措いてはいないという人物を各界から選び、直接、話を聴いて連載された週刊朝日の「昭和からの遺言」が朝日新聞出版から単行本になりました。中曽根康弘元首相、漫画家ちばてつや氏、俳優三國連太郎氏(故人)ら43人が、戦争や劇的な復興を経たエネルギーにあふれた時代を振り返るものです。昭和という時代を設計し、創造し、動かしてきた人物の生の声を丹念に聴き取って遺した歴史に残る本です。どなたも思春期に戦争を生身で体験し、戦前からの歴史を肌で知っています。今の政治家を含め「戦争を知らない」世代の無責任な虚言とはちょっと違うのです。私達は「昭和からの遺言」に耳を傾け、令和も平和な時代であるよう見つめ続けて行かなければなりません。



邨野継雄君『うた

邨野継雄君は、1988年8月に朝日新聞社から『心の音楽(うた)を奏でよう』という本を出版されています。埼玉栄高校吹奏楽部の13年間、学校生活、クラブ運営の中で、高校生たちが悩み、壁にぶつかる様子をクールに見つめた学園青春記です。筆者の白堊の青春は、横暴な上級生の無体な要求に苦しむ一方で、混沌として猥雑な学校に、多様な価値観を持った教師たちと多様な可能性を有した生徒たちがいて、彼らはせめぎあい、自由であり自尊を保てる場があって、その自尊にエールを送ってくれる一群の教師たちが居ました。しかしいつのころからか、学校はひとつの価値だけを主張し、押し付ける場になってしまったようです。生徒の側から折り合いをつけるのが難しくなってしまったのです。
埼玉栄高校と言えば、今や陸上、駅伝、相撲、柔道、野球、ソフトボール、ボクシング、重量挙げ、競泳、バドミントン、ゴルフ、フェンシングほか、いろいろなスポーツの分野で全国優勝していて、その名を知らぬ人が居ない有名高校です。吹奏楽部も全国優勝はもちろん、海外にも名を知られる有名ウィンドオーケストラになりました。昭和49年、すなわち1974年にたった6人でスタートし、初めは校歌の演奏もおぼつかなかった吹奏楽部が、1987年には全国大会金賞、ウィーン世界青少年音楽祭で最高の大賞を受賞するまでになりました。生徒たちは音楽を通じて学校と折り合いをつけようとし、奏でる音楽の先に確かな自尊を見出そうとしていました。音楽教師の苦悩、生徒の苦しみも赤裸々に描いた『心の音楽(うた)を奏でよう』は、感動のドキュメント、是非皆さんに読んで頂きたい本です。



1988年9月8日付け朝日新聞記事
全日本吹奏楽連盟推薦

ロックが好きなヤツもいる。楽譜が読めないヤツもいる。マジな彼女も、シラケタ彼も、楽器を手にとりゃ生き返る。−−私立埼玉栄高校の吹奏楽部にウィーン国際音楽コンクールから招待状が届いた。国際舞台に通じるのか−−期待と不安を胸に出場してみると、結果は思いもよらぬ大賞受賞。その栄光の軌跡をたどりながら、現代高校生の素顔を鮮烈に浮かび上がらせた感動のドキュメント。

 四十五分の演奏時間は、生徒たちにはあっと言う間の出来事だった。顔面にしたたる汗をそのままに、大滝実が最後の指揮を終えたとき、舞台上の五十六人の生徒の百十二の目は、感動と信頼の輝きを宿して大滝実の二つの目と出あった。
「ヤーパン、サイタマサカイ!!」
 大滝実はクリスタル製のモザイク模様のウィーン大賞を掲げ、会場の歓声と拍手に打ち消されないように、声帯をありったけ広げてバンドメンバーに怒鳴った。「ウィーン大賞!」
 トロンボーンの新野陽子はその声を聴いた途端にボロボロと涙をこぼした。
 「厳しい練習がムダにならなかった」と笑顔を作ろうとしたホルンの荒井徹治は、笑ったはずの顔がくしゃくしゃに歪んでいくのを感じていた。
 クラリネットの一色志保も泣いた。サックスの小山内栄は「本当に世界一?」と夢見る気分だった。



  雫石
 来てけろ〜

当ホームページ管理人の澤藤隆一は2009年設立の在京盛岡広域産業人会の初代会長就任、4年務めて今は顧問です
   
    設立総会で挨拶する澤藤隆一(岩手日報から)
澤藤隆一は在京雫石町友会の副会長および雫石町観光大使も務めております。
2016年度から国立大学法人岩手大学 経営協議会の学外委員に就任しました→岩手大学のホームページ。いろいろ大学経営に意見を述べよということです。


  佐々木寛君、横浜へ


講義するときの佐々木寛先生

 佐々木寛君は2015年春、信州大学教授を定年退職後、そのまま松本市にいて、ロシア語の非常勤講師を続け、在職中とあまり変わらない授業時間数を担当していました。2015年3月末の最終講義で話したことが信州大学の全学教育機構ニューズレターに載っています。2ページにわたり、高校卒業後の四十数年間に佐々木寛君のしてきたことのすべてを凝縮して書いたそうです。ロシアの哲学者・文芸学者バフチンの名前は、文学・文化学関係の研究者ならば誰でも知っているそうですよ。ご覧下さい

 膨大な蔵書の置き場として、盛岡の緑ヶ丘の実家を書庫にしたようです。頻繁に盛岡通いされているとのことでした。

 その後2018年11月末に小脳内の出血で松本市内の病院に入院し、3ヶ月半のリハビリ入院を終えて退院されたそうです。左腕と左脚に後遺症はありますが、杖なしでも一気に1,000mくらいは歩けるし、バスや電車にも一人で乗れるとのこと。奥様の実家、横浜市に転居されました。幸いにして言語運用の部分は、口頭での会話も含めて、損傷を免れたので、研究者として仕事をしてゆく上での支障は無く、入院中も、リハビリ訓練の合間をぬってロシア語の翻訳を続け、論文一本半を訳出したおかげで退屈はしなかったそうです。


  岩手県議会議員千葉 伝

2013年9月27日の岩手県議会定例会で議長に就任した千葉 伝君は、任期2年を全うし、2015年の県議会議員選挙(八幡平市ブロック)で無投票当選されました。

右写真・・・南部盛岡チャグチャグ馬コ保存会(会長・谷藤裕明盛岡市長)を構成する盛岡市と矢巾町、滝沢市が、馬コパークいわて(旧ポニースクール岩手)の存続に関し統一要望を県に対し行いました。県が平成26年度当初予算に馬コパークいわての有効活用を図るための経費を計上したことを受けて、3自治体の首長と議会議長が2月13日、達増県知事と千葉県議会議長を訪問し、感謝の言葉を伝えました。右は川村矢巾町長らと共に千葉伝議長に感謝の言葉を伝える柳村典秀滝沢市長(当時)

岩手県議会議員 千葉伝(ちば つとう) → クリック  岩手県議会議長挨拶 → クリック  盛岡タイムスの記事 → クリック


柳村典秀滝沢市長が千葉 伝議長(右)に感謝の訪問


日本の生命科学・医学出版界をリードする羊土社の創業者
   一戸裕子さん

 羊土社は、日本の生命科学や臨床医学系の出版社として2021年で創立42年、今や澤藤の見るところ、日本屈指の医学・生命科学出版社です。澤藤にもメルマガが届きますが、単にペーパー書籍にとどまらず、見やすいホームページ、メールマガジン配信など、常に時代にフィットする手法を考案し、対応するところが素晴らしいと思います。書籍の電子化の要望に対しては、「実験医学」誌のバックナンバーを電子PDF化した「Digital Archive」を完備するなど、常に読者、お客様の目線に立った活動をされており、これがまた羊土社の評価を高めることにつながっているのでは?と推量します。遺伝子研究のような難しい分野にいち早く注目し、実験動物分野から雑誌を立ち上げて、今では当たり前ですが、当時は大変な先見の明だったと思います。恐らく筆舌に尽くし難い苦労をされて今日があるのでしょうが、これも裕子さんのあの情熱、タジタジするような熱血、このパワーがあったればこそ、でしょう。
 いま日本の生命科学は、輝かしい脚光を浴びています。もともと欧米に引けをとっていた分野でしたが、2012年の京都大学・山中伸弥教授のノーベル生理学・医学賞の受賞により、この分野は研究者や患者などに大いなる希望を与えました。また国もこの分野に注力することを発表し、従来では考えられなかった予算がドンと付きました。また広範に科学への興味と生命医療への期待を高めたことが、日本全体のサイエンスに関する夢と希望をも高めたと感じます。
 今後ますます羊土社が、生命科学や医学という、人類にとって極めて重要な分野に貢献して行くであろうことは間違いありませんが、それをわれ等が同期の一戸裕子さんが牽引していることに、大きな喜びと誇りを感じるものであります。一戸裕子さんの社長挨拶→クリック 会社紹介動画の最後で挨拶されてますよ(澤藤隆一・記)

 2021年1月より羊土社は新体制となりました。一戸-葛西 裕子さんが代表取締役会長に、そして一戸-葛西 敦子さんが代表取締役社長に就任しました。一戸さんは葛西さんにもなってるわけです。




  関雄幸君、ぐんまみらい信組会長退任
  関雄幸君は、かみつけ信用組合(高崎市)の理事長でしたが、2012年11月に東群馬信用組合(伊勢崎市)と合併して誕生したぐんまみらい信用組合の会長に就任しました。預金残高、融資残高ともに群馬県内信用組合で最大となったぐんまみらい信用組合の関雄幸会長に、合併のメリットや今後の課題、県内の経済情勢などを聞いた読売新聞のインタビュー記事が載っていました(時間経過と共に削除されました)  関雄幸君は、ついに退任して長い単身生活に区切りを付けました これからいつでも同期会に出れるそうです(2014年1月25日の新年会で語る)
関 雄幸君の--->エッセイ(漢検主催の「日本語教育研究所」客員研究員だった頃、同所発行の研究所年報に掲載されたエッセイ等をEXCELに載せたもの。この夏には1年越しで立命館大学認定の【漢字教育士】となったそうです)

「よく解る【西国33札所】巡礼」・・・関雄幸君の西国33札所巡礼紀行録です  クリック


  リベラル経済論説…今松英悦
毎日新聞社で経済関係の論客として長く論説委員を務めていた今松英悦君が、次の本を出版(共著)されましたので、お知らせします。是非、手にとってお読みください (今松英悦君は残念ながら2013年11月7日ご逝去されました)
 
タイトル:そして「豊かさ神話」は崩壊した
      −日本経済は何を間違ったのか−
出版社:近代セールス社 価 格:1,890円(税込) 発刊日:H24.10.1 著者:今松英悦、渡辺精一(4章、7章)
 
下記にアクセスすると、近代セールス社のHPにはいり、この本の目次、冒頭部分の立ち読みが可能です。 
http://www.kindai-sales.co.jp/item/185701.htm

 佐々木勝裕君の推薦文 
40年近い記者生活の、経済を中心とした多分野にわたる総括とも言える大作です。
大変平易な文章で書かれていますが、同時代を生きた同期の私達が自らの軌跡を思い起こしながら、かみしめて読む一冊です。

【要約と詳説】3.11は日本のみならず世界に、成長追求の経済システムを終わりにし、新システム構築を迫りました。

 経済成長イコール「豊かさを手に入れること」だと信じ、ひたすら成長を追い求めてきた日本。しかし、それは決して、私たちに幸福や安心をもたらしてくれる、真の意味での豊かさにつながる道ではありませんでした。
 東日本大震災とそれに伴う原発事故は、そうした経済成長至上主義にピリオドを打ち、新たな価値観による経済を築かなければならないことを、私たちに示したはずでした。しかし、現在もなお、この国の政治や経済は、根強い成長信仰を脱することができずにいます。
 本書では、今こそ経済成長至上主義を脱し、新しい価値観での経済社会を造らなくてはならないとの問題意識のもと、1973年の第一次オイルショック前後から現在までの約40年間を対象に、象徴的なトピックを取り上げながら、その歩んできた道を検証しています。それはまさに、経済成長のみを優先し、GDPに踊らされ続けてきた40年でした。
 著者は、毎日新聞で『週刊エコノミスト』編集部や経済部、そして論説委員を歴任した今松英悦氏と、同じく『週刊エコノミスト』編集部や社会部、経済部を経て、現在は川崎支局長を務める渡辺精一氏(第4章:「凶暴化する市場の中で」と第7章「豊かさの実態は」を担当)。長年にわたり、ジャーナリストとして日本経済を見続けてきた二人が、その迷走の40年を問い直します。
 貧困化の進行と格差拡大、福祉の圧縮、止まらない原発、財政状況の大幅悪化・・・・。なぜ日本はこんなことになってしまったのか。
 「豊かさ神話」を超える社会を、これからどうつくっていけばいいのか。 ぜひ皆さんも考えてみてください。
 オイルショックや高度成長時代の出来事、あるいはバブル経済時代に起こったことを知らない若い皆さんにも、その時代時代に起こっていたことがわかりやすく紹介・解説されており、現代経済史の知識を得るうえでも格好の一冊です。


▽ 「豊かさ神話」の崩壊(1)― 乗り越える経済社会の4原則
 20世紀型ともいえる「豊かさ神話」が崩壊したいま、その「豊かさ神話」を乗り越える経済社会の原則は、どのようなものなのか。本書は以下の4原則を挙げています。

【1】脱GDP主義への道
原則の第一は国内総生産(GDP)を豊かさや幸福度の指標にしないこと。
石油危機の少し前に朝日新聞の連載記事「くたばれGNP」と題する連載記事が話題になりました。当時はGDPではなく、GNP(国民総生産)が経済規模を量る指標として用いられていました。今、GDPに代わる指標をつくろうという動きが見られます。経済協力開発機構(OECD)は、GDPに代わる幸福度の指標として、「より良い暮らし指標」(ベターライフインデックス)を発表しました。これは所得のみならず、住宅、教育、安全、環境、生活満足、ワークライフバランスなどの指標から構成されています。日本は所得や安全ではOECD加盟国の中で2桁順位ではありますが、まあ上位に位置しているものの、ワークライフバランスは最下位に近く、生活満足や環境も下位にあります。
GDPには無駄な浪費も、環境破壊的な投資も含まれます。そのようなGDPを疑うことなしには、新たな経済社会は始まりません。

【2】市場に翻弄されない社会に
原則の第二は、市場を制御する機構を備えた経済システムを構築すること。
適正な価格の決定や円滑な取引、さらに経済運営の効果を高めるために市場の役割は重要です。ただすべてのことを市場にゆだねれば、バブルの生成や崩壊、過剰なまでの経済の金融化などの重大な弊害が生じます。例えば雇用や教育、医療など人々の社会生活にかかわる分野を市場による競争原理にさらすことは控えるべきです。賃金にしても、人々が憲法の保障する「健康で文化的な最低限の生活」を維持できるものでなければなりません。それなしには人々は先行きに不安を覚えます。
リストラという名の人員整理や非正規雇用の促進、賃金引き下げには歯止めをかける必要があります。市場原理に絶対の信認を置き、自助努力を基本とした政策の結果が、いまアメリカや日本で深刻化している格差や貧困の問題に顕れています。そこから脱出するには、市場に翻弄されない社会を築いて行かなくてはなりません。

【3】維持可能な発展を実現するシステムを
原則の第三は国内レベルだけでなく、地球レベルで「維持可能な発展」を実現できる社会システムをめざすこと。
維持可能な発展をめざすことでは、1992年の国連環境開発会議(地球サミット=ブラジルのリオデジャネイロで開催)で世界各国が考えを共有しました。しかしそれから20年後の「リオプラス20」(2012年6月再びリオで開催)ではむしろ経済成長への道を追求することが前面に出ました。
このままではいけません。先進国は浪費型経済に終止符を打たなければなりません。先進国はエネルギー過剰消費をすぐにやめるべきです。豊かさや幸福度をGDPのみで測るのではなく、働き方や環境、時間の使い方なども加味すれば、モノの消費中心の生活態度から脱却できます。
原子力発電は即時に、あるいは遅くとも段階的に廃止すべきです。経済成長のために原発を維持、あるいは増設して行くことは、地球を維持不可能なものにしてしまいます。
維持可能性という点から食糧や農業も今のままというわけには行きません。維持可能な経済社会という以上、食に直接つながる農業は地域を支える産業と位置づける必要があります。

【4】「小さな政府」政策との決別
原則の第四は「小さな政府」政策との決別です。
財政は国民の安心な生活のためにあるべきものです。必要な財政規模の政府は、小さな政府論者が批判する「大きな政府」とは違います。「適正な規模の政府」なのです。では健全かつ適正な規模の政府にするにはどうすればいいのか。まず予算のうち歳出の中身を抜本的に見直す必要があります。
公共事業費はこれまでかなり圧縮されてきましたが、ダム事業のように十分手の入っていないところがあります。エネルギー関連でも原発の立地促進費や高速増殖炉もんじゅ向けの予算などは大幅に削ることができます。防衛費もアメリカ軍向けの思いやり予算や、自衛隊の攻撃型装備向け予算も本来おかしなものです。
ただそれだけで必要なお金を捻出するのは容易ではありません。そこで税金を払う能力がある法人や個人を優遇してきた税制を元に戻す必要があります。
小さな政府政策に歯止めをかけ、転換を実現して行くためには、地方政府とも言われる地方自治体を強化していくことも欠かせません。合併により自治体の規模を大きくするこれまでの政策を大転換し、身近な仕事を担っている基礎自治体といわれる最小の単位は、住民が実感できる規模まで小さくすることが必要です。

▽ 「豊かさ神話」の崩壊(2)― 真の豊かさを手に入れるために
本書は末尾で「真の豊かさを手に入れるために」という見出しで、以下のように指摘しています。

 「失われた20年」と言われたバブル崩壊後の経済社会停滞の中で、成長神話がいかにむなしいものであったか・・・。一方、所得を増やさなければ、豊かになれないという固定観念から抜け出し、それを乗り越えた社会を築いて行くことは、上述の4つの原則に示されているように希望に満ちた試みなのです。

 経済成長率を高めれば豊かになる、幸福になるというわけではありません。これまでのように過剰消費にうつつを抜かす必要もありません。エネルギーの消費構造がその典型です。東日本大震災以降、企業、家庭ともに電力消費量は低下していますが、それで大きな支障が出ているでしょうか?電車やオフィスビルの中は、夏でも寒いことが今も少なくありません。
 原子力発電を全面停止、さらに全面廃棄に持っていくことは、低エネルギー社会を築くことにもつながります。モータリゼーションもオール電化も過剰エネルギー消費社会の象徴なのです。

 人々の生活がどれほど自然環境に依存しているかを見ますと、先進国は資源供給や廃棄物処理で過剰なまでに地球を酷使していることが明らかになっています。仮に世界中がアメリカと同じ消費水準を謳歌するとすれば、地球が5つ必要とも言われています。こうした状況が維持可能なわけはありません。これまでの経済学では、今の経済活動を継続していくという前提で政策が考えられます。ビジネス・アズ・ユージュアル(BAU)というこの前提のもとでは、状況は何も変わりません。これを打破し、真の豊かさ、幸福を手に入れる社会を築いて行く活動こそが今求められているのです。

新しい21世紀型豊かさ、幸せ観は次の4つの原則の上に築かれるべきです。
*脱GDP主義への道
*市場に翻弄されない社会に
*「維持可能な発展」を実現するシステムを
*「小さな政府」政策との決別

これら4つの原則は以下の3つの「道」原則に集約することもできるのではないでしょうか。
*脱GDPへの道
*脱新自由主義(=脱市場原理主義)への道(=市場に翻弄されない社会に、「小さな政府」政策との決別 ― の2原則を脱新自由主義というひとつの組み合わせとして捉える)
*「維持可能な発展」=「持続可能な発展」(Sustainable Development)への道

ここでは脱新自由主義への道と「持続可能な発展」への道に触れておきましょう。
まず脱新自由主義とは、あの悪名高き新自由主義路線による異常な格差、貧困をどう是正して行くかを指しています。すなわち日本経済社会を担う主役である労働者、サラリーマンたちの賃金を含む労働条件を悪化させながら、他方、一部の企業経営者報酬や大企業の内部留保を巨大化させるアンバランスにどうメスを入れるかです。新自由主義路線の根本的な変革・改善なくして、日本経済の再生はあり得ません。

もう一つ、地球環境保全のための「持続可能な発展」への道は人類生存のためにも重要です。ただ最近は地球環境保全への熱意は薄らいできており、初心に返って、これをどう再活性化させるかが今後の課題です。


【澤藤隆一コメント】この本に書かれた今松英悦君の願いとは裏腹に現在の日本経済は進んでいるように見受けます。草葉の陰で歯軋りしておられるかもしれませんね。



  在京白堊会を支えた玉澤健児君と大澤邦雄君

在京白堊会の会長は馬場信(S41)さん、2名の副会長の一人は我らが同期戸来年樹君のお姉さんのソウ子さん(S40)でした。事務局長は2005年から玉澤健児君、2名の事務局次長の一人は大澤邦雄君でしたが、2012年5月12日の在京白堊会総会で引退しました。在京白堊会の事務所は、以前は星野健秀君のところでした。在京白堊会を長く支えてきたのは、我らが43年卒だということです。玉澤健児君は2013年12月、星野健秀君に代って常任幹事に就任、2018年退任されました。会長は内村泰さん(S39)となりましたが、残念ながら在任2年にして亡くなられ、馬場信(S41)さんが一時復帰、その後一戸裕子さんの従弟の戸田純さん(S48)が2018年に会長に就任され、役員が大幅に若返りました。在京白堊会役員名簿
大澤邦雄君は2014年岩手に帰り、現在は滝沢市に住んで盛岡の白堊43会に参加しております
懐かしの写真

在京白堊会から岩手県にふるさと復興支援のため寄付金贈呈(2011年7月20日岩手県東京事務所にて)…在京白堊会報第31号より
左から在京白堊会・日向 裕氏(S54幹事)、大澤君、玉澤君、馬場信会長、岩手県東京事務所鈴木健夫所長、小向正悟企業立地観光部長(S52卒)

  在京白堊会を支えた星野健秀君
在京白堊会は昭和44(1969)年5月13日に上野・精養軒で設立総会を開き、設立されました。きっかけはその前年の第50回夏の甲子園大会に硬式野球部が出場してBEST8まで進んだ出来事です。忘れもしない私たちが高校を卒業した直後の夏、小笠原投手が投げて、甲子園に異様なバンカラ応援が轟いて「ナンジャコリャ」と全国的にビックリされたのです。準々決勝の相手は沖縄・興南高校で、当時まだ沖縄は米国の占領下にありました(復帰は昭和47年=1972)。当然のように球場全体が興南高校を応援する熱気に包まれ、東北からやってきたバンカラ応援はさながらヒールの有様、しかも校歌があのマーチです。ブラバンも無い蛮声張り上げた応援はしかしながら、全国的に有名になり、盛岡第一高等学校の名を知らしめました。この応援を機に、在京白堊会を作ろうということになったわけです。事務局は、岩手銀行のある日本橋のビルの7階にあった工藤法律事務所に置くことになりました。弁護士の工藤祐正さん(S17)は、爾来世話人代表兼事務局長としてずっと在京白堊会を支えてこられましたが、平成4年(1992)工藤さんが亡くなられて、さあ事務所をどうするんだということで大騒ぎになったのだそうです。結果的に星野健秀法律事務所に置くことになりましたが、当時星野君は新進気鋭の弁護士で、在京白堊会の世話人たちから見ればまだ若造でしたが、よくもまあ引き受けたものだと思います。1996年にそれまでの世話人から会長制となり、及川昭伍さん(S25)が会長となり、星野健秀事務局長のもとで岩澤新治さんが事務局次長になりました。1999年に事務所が秋葉原の産報出版に移転し、事務局長は星野君から馬場信さん(S41)に代りました。以来2005年に玉澤健児税理士事務所に移転するまでこの体制が続きました。星野健秀君は2013年までの長きにわたり常任幹事を務められました。実に20年にわたって在京白堊会を支えたのです。

第50回記念総会で、星野健秀君と玉澤健児君(この日は海外で欠席)、大澤邦雄君に感謝状が贈呈されました
在京43会からは9名が出席、出席予定だった43年次幹事の森田健二君は体調不良で急遽欠席となりました

及川昭伍さんに続き星野健秀君に感謝状

大澤邦雄君への感謝状


  戸田公明君が大船渡市長に!


2006年新年会(池袋)2次会での戸田君
戸田公明君は2006年まで在京白堊43会に参加されていました。池袋での新年会は澤藤隆一が幹事を務めました。
2006年9月に故あって清水建設を退職してふるさと大船渡に帰って来た戸田君は、2006年11月26日投票の大船渡市長選挙に引っ張り出されました。しかし4期目を目指した当時の現職・甘竹市長を向こうに回して、投票率81.4%の高率選挙に持ち込んで13,128票を獲得したものの、1,944票差の惜敗でした。
翌2007年1月医療法人勝久会の専務理事に就任し、2010年9月まで務めました。
そして2010年11月14日告示、21日投票の大船渡市長選挙は甘竹勝郎市長(67)が1994年以来4期16年、今期限りでの勇退を表明し、戸田君は8月「長い海外生活を含むゼネコン勤務の経験を市政に生かしたい」と意欲を語り、出馬を表明しました。いずれも無所属の保守系新人3人の争いになり、前回選挙で甘竹市長を追い詰めて、大善戦だった戸田君が、その知名度を生かして1986年以来24年ぶりの新人同士の争いを、差をつけて制しました。
投票率は76.55%、開票結果は戸田公明君(61)=公明党推薦が、11,531票、市議で水産会社会長の鎌田和昭氏(64)が7,062票、自民党を離党し、市議を辞職して立候補した会社役員の平山仁氏(41)が6,927票で、戸田君が前回に続く立候補で、知名度十分、あいさつ回りやミニ集会をこなして見事当選につなげました。初登庁は12月3日(金)でした。
       
しかし2011年3月11日発生の東日本大震災によって、一転大変な立場となりました。
マスコミにも度々登場していますが、大船渡の再興のために、頑張ってください。

当選を聞き奥様と万歳


「三陸・大船渡東京タワーさんままつり」と「戸田君を囲む会」

2011年さんままつり→クリック  2012年さんままつり→クリック  2013年さんままつり→クリック  2015年さんままつり→クリック
2017年さんままつり→クリック  2018年さんままつり→クリック
戸田君を囲む会2013   戸田君を囲む会2014   戸田君を囲む会2016   戸田君を囲む会2017   戸田君を囲む会2018


戸田公明君、再選!

任期満了に伴う、東日本大震災後初の大船渡市長選は、2014年11月16日告示、23日投票で、同市盛町のリアスホールで即日開票されました。再選を目指す現職戸田公明(きみあき)氏(65)と、新人で前市議佐藤寧(やすし)氏(47)の一騎打ちでした。戸田氏は、▽創造的復興と発展▽結婚・妊娠・出産・育児の切れ目ない支援▽保健・医療・介護・福祉の連携強化−などを公約に掲げています。市議19人中8人が支持し、自民、民主、公明と連合岩手、岩手友愛会の推薦を受けて、磐石の態勢です。一方佐藤氏は8月に市議を辞職し、10月に出馬表明しました。▽市民が納得できる復興▽被災者に寄り添う施策▽雇用・子育て・教育・福祉施策の一体的な推進−などを掲げています。市議2人が支持しています。
と書いておりましたが、開票結果は意外に僅差でした。
  戸田 公明(65)無現  1万2,062票 
  佐藤  寧 (47)無新     9,400票 
投票率は67.34%で、前回、2010年を9.21ポイント下回り、過去最低となりました。これは国政でもそうですが、国民の選挙離れが進んでいるのと、高齢化のせいでしょうか。
東日本大震災被災地域では、福島県で現職の落選が相次ぎました。原発がらみでしょう。大船渡市は近隣自治体に比べ復興が最も進んでいますが、それでも「遅い」という人が多いのでしょうね。謙虚に受け止めて頑張ってもらいましょう。

万歳する戸田公明氏と範子夫人




戸田公明君、三選

震災復興の先を見据えた「ポスト復興」のあり方が争点となった、大船渡市の市長選挙は、2018年11月25日、投票が行われ、無所属の現職、戸田公明君が、元参議院議員の藤原氏を抑え、3回目の当選を果たしました。前回選挙での戸田君は、複数の政党から支援を得て、市議の多くからも支持を得たのですが、今回は地元では有名な政治家が相手、藤原氏は市内企業を回って前回の戸田支持基盤を切り崩す動きに出ました。市政の刷新を訴えた相手の動きに、終盤情勢は混沌とした激しい戦いと報じられていました。18歳に選挙権年齢が引き下げられて初の選挙であり、浮動票がどう動くか投票日直前でも見通し不明との報道でした。案の定、開票結果は僅差でした。
  戸田公明(69)無現  1万2,074票
  藤原良信(67)無新  1万1,052票
わずか1,022票差で辛くも逃げ切ったというところです。前回選挙でも市議から立った人が意外な善戦を見せ、復興への取り組みへの不満が一部にあることを知らされました。震災後、2回目の選挙となった今回は、進む復興の先を見据えた「ポスト復興」のあり方が大きな争点となりました。戸田君は2期8年の実績をアピールし、▼災害公営住宅などで暮らす高齢者の孤立を防ぐためのコミュニティ支援のほか、▼市の基幹産業の水産業などで6次産業化を進めて市民所得の向上を図ることなどを訴えました。
戸田君は、「苦しい戦いでしたが、自分の2期8年の実績と訴えが評価された結果だと感じています。まずは、復興計画を終わらせて、人口減少や高齢化に対応する地域力をつけるため、経済や医療などあらゆる面での振興を図っていきたい」と抱負を語ったと報道されています。

万歳する戸田公明氏と範子夫人
今回の投票率は73.91%で、前回・4年前を6.57ポイント上回りましたが前々回の76.55%には及びませんでした。期日前投票も前回の1.7倍で、選挙への関心の高さがうかがわれました。
戸田公明君は知名度と真面目さ、ソフトな面が市内地域を問わず広く浸透し、女性の支持が高かったようです。戸田公明後援会(水野公正会長)は、組織を再構築し、選対本部の中心となりました。国民民主党県連や連合岩手、市漁協などが推薦し、共産党大船渡市委員会が自主支援しました。国民民主党県連の黄川田徹代表や田村誠県議、市議7人が支持し、事務所開きや総決起大会では戸羽太陸前高田市長や神田謙一住田町長も応援に駆け付けました。
一方の無所属新人で元参議院議員藤原良信氏は、岩手県議会議員の後、小沢一郎氏の意を受けて参議院議員1期、2013年の選挙で落選しました。今回は県議と国政26年の実績を掲げ、自民党大船渡市支部が支援し、市議の半数を超える11人の支持もあったほか、市内の事業所のトップらも応援に駆け付けて、特に中高年男性に支持を広げました。これまで保革問わず幅広い支持を受けてきた戸田君が、保守層を切り崩された形ですが、最後は女性の支持が決め手になったのではないでしょうか。岩手県内各地の首長選挙でも、女性の支持の多寡が勝負の決め手になるケースが最近良く見られます。さあ、2022年12月2日の任期まで4年間頑張れ!


  細田敬一君、盛岡市副市長退任

◎細田敬一君が盛岡市副市長任期満了(2014年)
 
細田敬一君が2014年3月任期満了で退任し、引き続き盛岡市危機管理統括官として市民のために尽くすそうです。代る副市長は藤尾善一さんになりました。藤尾善一さんは白堊45会、我々の2年後輩で、谷村さんの後任として白堊会の会長に就任しました。谷藤市長や、佐藤光彦副市長と同期、市長、副市長2人、同期揃い踏みですね。在京白堊45会では加藤文也さん、岩澤新治さん、千葉順成さんが活躍され、在京盛岡広域産業人会幹事の齋藤至幸さん、幹事は引退しましたが小笠原政教さん、同じく齊藤新一さんは元岩手県産業人会代表でもありましたが、現在は盛岡に戻られました。同じく元幹事だった水本良則さんは矢巾町副町長に転進されました。更に奥山恵美子元仙台市長など、人材豊富です。

◎細田敬一君が池田克典君の後任で盛岡市副市長に就任(2010年)

 盛岡市は2010年3月26日、我らが同期の池田克典副市長の後任に、元県警刑事部長で岩手銀行法務顧問の細田敬一君を充てる人事を発表しました。市議会3月定例会で同案を可決、4月1日付で就任します。選任理由について、谷藤裕明市長は「市が取り組む安全・安心な街づくりを進めるため」と、県警での経験を評価しました。


(盛岡市広報2010 5月15日号1289より転載)


  和嶋憲男君、岩手県産社長退任

 在京の岩手県人に馴染み深い「いわて銀河ぷらざ」を運営する岩手県産株式会社の代表取締役社長に、平成21年我らが同期の和嶋憲男君が就任いたしました。本社は矢巾町の流通センターにあります。
 
岩手県産を紹介した盛岡タイムスの記事(2012年1月7日)→クリック(pdf) 和嶋社長のインタビュー記事が載っています
 2014年6月30日の株主総会をもって退任されました。リーマンショックの不況真っ只中の2009年に社長になり、売り上げ不振を必死になって挽回しようとしていた最中に東日本大震災、これでもかと襲い来るバッシングを逆にバネにして、業績を向上させて創立50周年に向けて良い形でのバトンタッチとなりました。大波の5年間でした。ご苦労様でした。なお、引き続き(一社)岩手県木炭協会常務理事として活躍されるそうです




  三舩康道君の活躍
三舩康道君は次から次へと著作や寄稿をされております。未紹介のものはお待ちください。
また、経営されているジェネスプランニング(株)のホームページ(http://genes-planning.com/)を見れば、その活躍がよく分かります

◎三舩康道君の執筆紹介
 近代消防2019年6月号に、三舩康道君が「糸魚川市駅北大火2年事業の概要」について執筆しています(P79〜P81)。糸魚川市駅北大火(糸魚川市大規模火災)は、2016年12月22日に発生し翌日鎮火しました。その1年後の2017年12月22日、糸魚川市では「糸魚川市駅北大火1年事業 糸魚川市駅北復興まちづくりシンポジウム2017」を開催、そこでは、火災を振り返り、今後の復興まちづくりについての方向性が示されました。近代消防2018年6月号に、三舩康道君の「糸魚川市駅北復興まちづくりシンポジウム2017」のレポートという記事が78ページから80ページにわたって掲載されました。そして火災から2年後の2018年12月22日、「糸魚川市駅北大火2年事業 復興まち歩きの日2018」が開催されたのです。今回は、先に2018年7月に視察した火災後1年半後の復興状況も報告しながら、火災から2年後の事業報告をさせていただきたい・・・(中略)・・・2年後の被災地の状況を視察したところ、1年半後の状況に比べて、2年後の状況は、住宅を含め多くの施設が建設され、建物が全体的に多くなってきたという印象でした。特に、1年半後には無かった復興市営住宅のような規模の大きい施設が建設されつつあり、これに入居者が入ると、徐々にまちは賑わいを増し、市営住宅は復興の象徴になると期待されます・・・というような要旨の記事になっています。

◎三舩康道君の執筆紹介
 近代消防2019年2月号に、三舩康道君が「UR都市機構による密集市街地の整備」について執筆しています。日本においては密集市街地が残されている地区があって、そこでは4m幅道路や接道されていない住宅などが密集していて、火災が起きると大規模災害に繋がる例が見られました。実際1995年1月の阪神淡路大震災で神戸市長田区が大火災となったり、2016年12月の糸魚川市駅北地区の大火災でその危惧が現実のものとなりました。その後、UR都市機構に市街地の整備を委託して、そのノウハウの活用により、整備のスピードアップ等これまでにない成果が得られてきている事例が出てきています。特に、幅員6m以上の主要生活道路の整備が一段と進んだのは大きな成果です。そこで三舩康道君は、UR都市機構の密集市街地整備部の中村和弘部長及び柳田勉チームリーダーに整備を実施している都内の3地区を案内していただいた内容について詳しく紹介しています。

◎第5回浅草学(新年講演会)と新年会
 今回は10年ぶりに浅草のおかみに話していただきます。前回は「おかみさんパワーでまちづくり」と題して講演していただきました。今回は、その後の10年間のまちづくりをお伺いしましょう。そして新年会にもご参加ください。
〇第8回浅草学(新年講演会) 〇新年会
・日時:2019年1月19日(土)18:15〜19:15
・テーマ:「続・おかみさんパワーでまちづくり」
・講師:冨永照子(浅草おかみさん会会長)
・会場:浅草文化観光センター5階、大会議室
・参加費:1000円
・定員:60名  チラシ  PDF
・日時:2019年1月19日(土)19:30〜21:00
・会場:十和田(すしや通り)
・参加費:5000円
・定員:25名
主催:(NPO)歴史的建造物とまちづくりの会
申込み: [tel] 03-6715-7801 [mail] genes@cube.ocn.ne.jp

◎迎賓館案内ボランティアを組織した三舩康道君
 三舩康道君は下記岩手日報紹介記事の如く、建築家として迎賓館の景観問題に取り組み、2006年からの大規模改修を終えた後、一般公開された迎賓館を案内するシニアボランティア説明員を組織し、案内研修のコーディネータとして長い間活躍しています。このボランティアでは在京白堊会メンバーが活躍しています。
 右端写真は2018年12月26日学士会館で行われた迎賓館案内ボランティアの勉強会とその後の忘年会で乾杯の音頭をとる三舩康道君

◎三舩康道君の執筆紹介

 近代消防2018年12月号に、三舩康道君が2篇執筆しています。「東日本大震災から7年後、被災地の復興状況」(74〜79ページ)と、「ど根性ポプラ広場のオープニングセレモニー〜岩手県大船渡市越喜来地区の復興のあゆみ〜」です。このところ三舩康道君は「近代消防」誌には欠かせない執筆者となりました。ということは、いかに災害が多いかということを示しています。
 また建築ジャーナル11月号は、特集「コンクリートの命」・・・
コンクリートの寿命を決めるとされていた「中性化」の指標が覆ろうとしている。常識を疑い否定する勇気をもった研究者の心ある投げかけが波紋を広げる。劣化の真の主役として注目されるのは「水」である。これが事実なら、水からコンクリートを守ることで中性化の進行といういわば期限付きの指標から、鉄筋コンクリート造建築の寿命を延ばせることになる。生かすのも殺すのもヒトだ。材料に学び理論に基づいた良質な設計と施工、当初の用途に必要以上に縛られないおおらかな改修、そして慈しみ育てるメンテナンスという愛情が、建築を次代につなぐ。コンクリートを知り、コンクリートに親しむ・・・というテーマで、「コンクリートブロック塀は悪者か?」という三舩康道君の執筆が13〜15ページに掲載されています

建築ジャーナル2018年11月号

近代消防2018年12月号

◎三舩康道君の執筆紹介
 近代消防2018年11月号に、三舩康道君が2篇執筆しています。「平成30年7月豪雨の被災地レポート(岡山県倉敷市真備町、広島県広島市安佐北区を視察)」(46〜49ページ)と「日本列島震度7の時代(北海道胆振東部地震の被災地を視察)」(81〜85ページ)です。西日本7月豪雨の被災地では、広範囲の豪雨の被害の中で、コンクリートの堤防の被害が印象的だったそうです。苦労話を交えて書いたとのこと。ところが7月に書いた記事が、11月号で北海道の地震と一緒に掲載されることになりました。本当に2018年は災害の年だったと言えますね。

◎三舩康道君が司会して「J.H.モーガンを語るシンポジウム&コンサート」
横浜市の旧根岸競馬場で行う、イベント 10月6日(土)13:30〜15:45 馬の博物館(横浜市中区根岸台1-3)
チラシ  クリック

◎三舩康道君の「平成30年北海道胆振東部地震緊急視察報告会」
平成30年9月6日、午前3時頃、、「平成30年北海道胆振東部地震」が発生しました。そして最大震度7が厚真町で記録され、大規模な停電も発生し、一時的に北海道は孤立状態になりました。いよいよ我が国も震度7の時代に入ったと思います。航空便が再開された、9月9〜10日にかけて、被災地の厚真町、清田区、北広島市の被災地を視察してきました。
このたび、以下の要領で、緊急的に視察報告会を開催します。関心のある方は、ご参加の程、よろしくお願いいたします。
・主催:災害事例研究会
・日時:平成30年9月27日(木)18:30〜20:00(18:10開場)
・会場:浅草文化観光センター、5階、大会議室 台東区雷門2-18-9
・テーマ:「日本列島震度7の時代」 三舩康道(ジェネスプランニング(株))
・参加費:1000円(資料代)、終了後懇親会あり
・その他:チラシ参照
・申込み:ship3@coral.ocn.ne.jp TEL:03-6715-7801

◎三舩康道君がテレビ出演に引っ張りだこ・・・結局“ブロック塀”で5回もテレビ出演したそうです
 三舩君から2018年6月20日(水)、メールがありました・・・「月曜日、夕方NHK、18:10からの首都圏ネットワークに出ました。今日もロケをしてきました。明日のNHK、7時からの「おはよう日本」です。今回はブロック塀です。おはよう日本は10年ぶりぐらいです」とのこと。6月18日夜のNHK首都圏ニュース845では「危ない“ブロック塀”どうする」という特集が組まれ、三舩康道君が出演したそうです。6月18日夜は盛岡に居たのでNHK首都圏ニュース845は見れませんでした。
 6月21日(木)NHK「おはよう日本」はかぶりつきで見てました。7:09〜7:12が三舩君の出番でした。東京都品川区荏原4丁目の町会が、防災まちづくりコンサルタントで工学博士の三舩康道君と定期的に地域を回って、危険箇所を調べていることの紹介でした。三舩君は「ブロック塀が安全か、定期的にチェックすることが大切です。特に、学校の周りなど、通学路は念入りに診断する必要があります。都市の中にはブロック塀がたくさんあり、所有者自身も施工状況などについて、点検することが必要だと思います」と話していました。実際テレビ画面ではいかにも危ないブロック塀が随所で見られました。振り返って我がまち周辺でも、見たらあるある、特に古い家の周りにいっぱい危なそうなブロック塀がありました。通学路にもありました。
ブロック塀を点検する防災まちづくりコンサルタントで工学博士の三舩康道君(NHKのホームページから)
◎三舩康道君の寄稿
 浅草おかみさん会の会報に三舩君が寄稿した「並木藪蕎麦の建替え事例」の紹介(PDF)です。共同組合浅草おかみさん会は、浅草仲見世老舗手打ちそば「十和田」の四代目女将;冨永照子さんが会長を務め、ふるさと創生ニッポンおかみさん会も、冨永照子さんが中心となって組織している全国の組織で、全国の女性経営者や女性個人会員が会員となっています。

◎三舩康道君の出版記念シンポジウム
2018年4月14日(土)18:00〜浅草観光文化センターで、「新たな共助社会の創造」の出版記念シンポジウムを開催 → お知らせ

あの柳田邦男氏も推薦する、三舩康道君の著作
東日本大震災を教訓とした 新たな共助社会の創造


〜国が4日目からの公助を保証すれば
 共助は機能する〜


  三舩 康道 著 近代消防社 新書判/192頁 定価(本体1,000円+税)送料130円
  ISBN978-4-421-00909-5 C0230

東日本大震災の被災者へのヒアリングによると、被災後の共助は十分には機能していなかった。そこで、大震災発生時等に、「4日目からの自衛隊等による公助」を国が保証することを提案したい。そうすれば、「3日間は食糧と物資の自助」から「3日間は食糧と物資の自助・共助」へ転換することが出来る。そして、自衛隊が来た4日目以降の被災者支援は、炊き出し等による作業の支援に移行する。このような被災者への共助の在り方が描けるようになるだろう。

=主な目次=
 はじめに
 第1章 グループヒアリング
 第2章 個別ヒアリング
 第3章 より良い共助社会創造に向けて
 第4章 応急仮設住宅までの避難生活のために
 おわりに


◎三舩康道君の執筆紹介
 近代消防2018年6月号に、三舩康道君の「糸魚川市駅北復興まちづくりシンポジウム2017」のレポートという記事が78ページから80ページにわたって掲載されました。
 近代消防2018年2月号に、三舩康道君の「東日本大震災から6年後、被災地の復興状況」という記事が56ページから64ページにわたって掲載されています。2017年7月の視察旅行時点での状況レポートが写真入りで詳しく報告されております。三沢空港に降り立って、レンタカーで青森県から岩手県、宮城県、福島県と海沿いを視察、いわき市までの5日間の旅でした。ご苦労様でした。
 災害事例研究会会長である三舩康道君が近代消防2017年12月号に「糸魚川駅北の復興まちづくり計画」について執筆しています(定価(本体972円+税) 送料130円です)
2016年暮れ4ヘクタールが被災した大火は皆さん記憶にあるでしょう。
この12月号は、「消防新時代をデザインする」というテーマで、「全国瞬時警報システム( Jアラート)による情報伝達のあらまし」、「第43回全国消防親善ラグビー富山大会」など
 また2018年1月号685新春特別増大号(税込1,580円)には8月3日の築地場外市場の火災について執筆しています。闇夜に赤い消防ポンプ車の写真がたくさん載っています。最近は記事が多いせいか掲載が遅れがちだそうです。消防の記事が多いことは良いことではありませんが、糸魚川大火でも消防団の活躍で一人の死者も出ませんでした。課題は団員が減っていることです。

◎三舩康道君がテレビ出演
また2017年12月2日テレビ朝日18:56〜20:54「ニッポン視察団」で外国人に聞いた日本の「建造物ランキング」が発表され、三舩康道君が専門家として出演しました。この番組は、外国人専門家集団=「視察団」を日本に招き、さまざまな場所や人を視察してもらうものです。彼らが思わず「ニッポン、スゴ〜イデスネ!」と言ってしまった“母国と大きく異なる、日本のスゴさを感じること”をVTRで詳しく紹介します。外国人の視点だからこそ、さらに浮き彫りになる日本のスゴさ、そして海外との違い...日本人でも知らなかった“日本の素晴らしさと独自性”を新発見でき、もっと日本が好きになれるバラエティです。
さて今回は日本の近代建築、伝統建築、神社がテーマでした。爆笑問題、ウエンツ瑛士、石原良純などが出演します。三舩君の顔はチラチラ映るのですが、いつ解説するかと期待しているのになかなかしゃべりません。かなりカットされたみたいです。

外国人のプロと観光客が感激した!ニッポンのスゴイ建造物ベスト25
第1位  「浅草寺 本堂と五重塔」
第2位  「姫路城 大天守」
第3位  「嚴島神社 大鳥居」
第4位  「東京スカイツリー」
第5位  「東京タワー」
第6位  「伏見稲荷大社 千本鳥居」
第7位  「清水寺 本堂」
第8位  「松本城 大天守」
第9位  「日光東照宮 陽明門」
第10位 「東大寺 大仏殿」
第11位 「あべのハルカス」
第12位 「平等院鳳凰堂」
第13位 「京都駅ビル」
第14位 「白川郷 合掌造りの家屋」
第15位 「三十三間堂(蓮華王院 本堂)」
第16位 「明石海峡大橋」
第17位 「黒部ダム」
第18位 「東京駅丸の内駅舎」
第19位 「モード学園 コクーンタワー」
第20位 「成田山 新勝寺 三重塔」
第21位 「GINZA KABUKIZA」
第22位 「GINZA SIX」
第23位 「国立代々木競技場」
第24位 「鹿苑寺 舎利殿(金閣)」
第25位 「伊勢神宮 社殿」
第1位の「浅草寺」の紹介で、本堂の屋根にチタン製の軽い瓦が3種類の色で使われているという紹介があり、いきなり三舩君にそのワケは?と振られました。ビックリ!三舩君、「大地震でも屋根の重さでつぶれることがないようにという配慮で、雷門などは普通の土瓦です」と寺社の防災対策のためと説明してました。専門の防災について触れられたのは良かった!それにしても2Hかぶりつきで見ましたが、出番が少なかった!三舩康道君談「相当カットされていました。しかし、バラエティは初めてだったのですが、おかげで慣れました。今回はカットされていましたが、いきなり、質問が振られたのもあり、大変です。次があるかどうかですね」

◎三舩康道君がまたまた本を出しました
最近出版した本を紹介します。
@2012年9月「減災と市民ネットワーク」(学芸出版社)2500円+税
 大規模災害対策として、防潮堤などのハード面の施設の整備とともに、市民のネットワークにより被害を少なくしていこうという趣旨の本です
A2013年11月「転ばぬ先の玉手箱」(万来舎)1800円+税
 災害や食、介護、レジャーやペットなどに関する「わざわい」について、多分野の専門家が、わかりやすく対応策をまとめた一般向けの本です。
 この本は一般書店では扱っていません。希望者は三舩君まで連絡下さい→メール

三舩康道君が第18回震災対策技術展で講演
 2014年2月6日(木)10時半〜 パシフィコ横浜アネックスホールF会場 ジェネスプランニング梶@詳細は→コチラ
三舩康道君が2011年8月末に「東日本大震災からの復興覚書」という本を出版しました。大船渡市の戸田市長、宮古市の山本市長、岩手県の達増知事に贈呈しています。

第16回震災対策技術展
横浜で開催される震災対策技術展に、災害事例研究会主催のシンポジウム開催!
テーマ:東日本大震災からの復興について ホームページ
日時:2012年2月2日(木)15時〜16時半
会場:パシフィコ横浜(最寄駅:みなとみらい線「みなとみらい」)
パネリスト:柳田邦男氏、関澤愛氏、三舩康道氏
三舩康道氏:ジェネスプランニング(株) 代表取締役社長
東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、工学博士、技術士(総合技術監理・建設部門)、一級建築士、希望郷いわて文化大使、スマトラ島西方沖地震・インド洋津波・バンダアチェ市復興計画特別防災アドバイザー、著書:「東日本大震災からの復興覚書」(共著)万来舎、「防災と市民ネットワーク」学芸出版社、「地域・地区防災まちづくり」オーム社等
関澤 愛氏:東京理科大学大学院 教授
1972年京都大学大学院建築学専攻修士課程修了、自治省、現在の総務省消防庁消防研究所、米国国立標準技術研究所客員研究員、消防研究所上席研究官、東京大学大学院特任教授を経て、2010年より東京理科大学大学院国際火災科学研究科教授。内閣府の中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」や東京消防庁の火災予防審議会委員をはじめ、各種調査検討委員会の委員。主な著書は「新版 建築防災」、「住まいと暮らしの安全」など
柳田邦男氏:ノンフィクション作家
東京大学経済学部卒業、NHK記者を経てノンフィクション作家、東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会委員、著書:「『想定外』の罠ー大震災と原発」文芸春秋 、「ボランティアが社会を変える」(共著)看護出版、「阪神・淡路大震災10年」岩波書店等




TV放映のご案内

災害事例研究会から「TV放映のご案内」が参りました。代表の三舩康道氏が、津波と建築に関連し、取材を受け、
2012年1月11日(水) TBS系、みのもんたの「朝ズバ」6:15頃〜
で、その様子が放映されます。
1月10日もテレ朝系の「モーニングバード」で取り上げられました。

2012年1月5日、読売新聞の社会面全国版(14面)に出た記事が左のものです。
これをテレ朝やTBSが取材して放映するのだそうです。


新聞記事の家は、S50年卒三浦千波さん(画家)のご生家です。
これを三舩康道君が、お母様の三浦千花野さん(80)の全面的なご協力を得て「津波記念館」として残す運動を進めているものです。
テレビで見ましたが、2階の天井ぐらいまで津波が来て、千花野さんは必死にかもいに掴まって波が引くのを待ったのだとか。。。すごい話です。

三浦千波さんは在京白堊会の常任幹事です。下記のページに三浦千波さんが登場しております。
・・・東京盛岡ふるさと会:2011年10月22日(土)ホテルグランドパレス(九段下)
・・・東京盛岡ふるさと会:2009年10月24日(土)ホテルグランドパレス(九段下)
・・・三陸・大船渡東京タワーさんままつり:2011年9月23日(金・秋分の日)
・・・戸田君を囲む会2013:2013年9月22日(日)


三舩康道君がまたまた新聞種に!?その5

2011年10月26日、朝日新聞に三舩康道君が会長の「歴史・文化のまちづくり研究会」による都庁での写真展が掲載されました


三舩康道君がまたまた新聞種に!?その4
三舩康道君の活動が新聞(岩手日報2011年4月10日版)に掲載されました。4月9日に東大で開催された災害事例研究会の内容です→クリック(pdf)


  ※災害事例研究会とは?
 このページや、「お知らせ」のページで過去たびたびご紹介してきましたが、元々は東大の建築工学の方々が中心になって始めたものらしく、警視庁鑑識課OBや東京消防庁、ゼネコン、災害関係の研究所、保険会社、セコム、大学の先生など、災害と安全に関わる様々な人たちが会員となって、会場を借りるために毎回1,000円の会費を拠出し、月1回土曜日東京大学に自腹で交通費を払ってやってきます。奇特な人達ですが、ここで得た知見を、「震災対策技術展」という展示会でシンポジウムを行って紹介しています。ちなみに2009年には東海地震の懸念される静岡市で開催し、このときの登壇者は、村上處直氏、佐取朗氏、柳田邦男氏、三舩康道氏でした。災害に関して詳しい人は知っているメンバーのはずです。現在は潟Wェネスプランニング代表の三舩康道君が会長を務めています。会長の関係で弗田君と澤藤が引っ張り込まれています。弗田君は生命保険屋さんですから少しは関係あるでしょうが、澤藤は全く業務上災害には関係しない、したくないのですが・・・。本郷キャンパスの学士会館分館が使えなくなり、三四郎池脇の山上会館に会場を移しましたが、かなり奥のほうなので、2011年4月からは東京メトロ南北線「東大前」駅下車徒歩1分、農学部の正門入って、すぐ左の弥生講堂アネックス・エンゼル研究棟・講義室に移ることになり、最後の山上会館開催が3月12日の予定でした。あの地震で3月11日夜事務局からメールがあり、定例会中止・・・当然ですね。ところが事務局とは三舩康道君の会社で、これがまた耐震基準改訂前のビルの中にあり、避難していて、やっと事務所に戻ってきてメールしたとのこと、災害事例研究会の事務局がそういうことでは???ですが、先立つものが???
 なお、2012年現在、会場は山上会館に戻っています。
 もしご興味ある方は、三舩康道にご連絡下さい。

三舩康道君がまたまた新聞種に!?その3
 2009年8月3日発行の岩手日報の記事です。三舩康道君は、建築家として迎賓館の景観問題に取り組み、大規模改修を終えて4年ぶりに一般公開された迎賓館を案内するシニアボランティア説明員研修のコーディネート(組織したと言うことかな?)を担当したそうです。記事中の菊地恒雄さんと畠順一郎さんはともに昭和41年卒の我らが2年先輩、馬場信在京白堊会会長(当時)や、花と企画社を経営する白石源次郎さんたちの同期です。


三舩康道君がまたまた新聞種に!?その2
 「災害事例研究会」を主宰する三舩康道君は、2009年1月17日から24日まで墨田公園リバーサイドギャラリーで「近年の災害写真展」を開いた。東京新聞の記事をご紹介する。



三舩康道君がまたまた新聞種に!?
 「災害事例研究会」を主宰する三舩康道君は、これまでも世界各国の災害被災地を訪れては、今後の防災に役立てるべく研究しており、東大学士会館分館で毎月1回研究会を開いています。この成果を「お知らせ」のページで紹介しておりますように『震災対策技術展』のシンポジウムで世に広めております。今回は中国四川省の大地震の被災地を訪れました。そうこうしているうちに日本では「岩手宮城内陸地震」が起きました。三舩君は翌週厳美渓など現地を視察に行きました。体の休まるときがありませんね。以前は東京新聞の記事を載せていましたが、下記「岩手日報」に差し替えました。




三舩康道君の活躍が新聞(岩手日報2005年6月9日版)に掲載されました。バンダアチェでの津波災害復興計画への参画です→クリック(pdf)




  野田真理子さん文学賞受賞!
「孤軍の城」

〜武田・織田の間で戦国女性おつやの方は?〜


 新人物往来社主催の第31回「歴史文学賞」(平成18年:2006年)に野田真理子さんの「孤軍の城」が選ばれました。新人物往来社は2013年4月に中経出版に吸収合併され、角川グループとなりました。歴史文学賞は第32回で終了しました。
 選考委員は早乙女貢氏、津本陽氏、伊藤桂一氏で、応募総数374編の中から選ばれました。
 作品は、武田方と織田方の間に挟まれ、時代の運命に翻弄された戦国女性の苛烈な生き様を活写する異色の力作!(新人物往来社のホームページより)  (野田真理子さんは残念ながら2017年10月30日ご逝去されました)
野田真理子さんを偲んで」のページをご覧下さい


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