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同期の近況 |
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43年卒の近況を紹介するページです | ![]() |
 邨野継雄  |  澤藤隆一  |  佐々木寛  |  千葉 伝  |  一戸-葛西裕子  |  関 雄幸  |  今松英悦  |  玉澤健児と大澤邦雄  |  星野健秀  |  戸田公明  |  細田敬一  |
 和嶋憲男  |  三舩康道  |  野田真理子  |  森田健二  |
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![]() 2002年の邨野君 |
平成が終わり令和になりました。昭和はますます遠ざかります。2008年から週刊朝日で不定期連載されてきた「昭和からの遺言」の取材記者は我らが邨野継雄君。戦争を挟んだ激動の昭和という時代を語るのに、この人を措いてはいないという人物を各界から選び、直接、話を聴いて連載された週刊朝日の「昭和からの遺言」が朝日新聞出版から単行本になりました。中曽根康弘元首相、漫画家ちばてつや氏、俳優三國連太郎氏(故人)ら43人が、戦争や劇的な復興を経たエネルギーにあふれた時代を振り返るものです。昭和という時代を設計し、創造し、動かしてきた人物の生の声を丹念に聴き取って遺した歴史に残る本です。どなたも思春期に戦争を生身で体験し、戦前からの歴史を肌で知っています。今の政治家を含め「戦争を知らない」世代の無責任な虚言とはちょっと違うのです。私達は「昭和からの遺言」に耳を傾け、令和も平和な時代であるよう見つめ続けて行かなければなりません。 |
邨野継雄君『心の音楽うたを奏でよう 邨野継雄君は、1988年8月に朝日新聞社から『心の音楽(うた)を奏でよう』という本を出版されています。埼玉栄高校吹奏楽部の13年間、学校生活、クラブ運営の中で、高校生たちが悩み、壁にぶつかる様子をクールに見つめた学園青春記です。筆者の白堊の青春は、横暴な上級生の無体な要求に苦しむ一方で、混沌として猥雑な学校に、多様な価値観を持った教師たちと多様な可能性を有した生徒たちがいて、彼らはせめぎあい、自由であり自尊を保てる場があって、その自尊にエールを送ってくれる一群の教師たちが居ました。しかしいつのころからか、学校はひとつの価値だけを主張し、押し付ける場になってしまったようです。生徒の側から折り合いをつけるのが難しくなってしまったのです。 |
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全日本吹奏楽連盟推薦 |
ロックが好きなヤツもいる。楽譜が読めないヤツもいる。マジな彼女も、シラケタ彼も、楽器を手にとりゃ生き返る。−−私立埼玉栄高校の吹奏楽部にウィーン国際音楽コンクールから招待状が届いた。国際舞台に通じるのか−−期待と不安を胸に出場してみると、結果は思いもよらぬ大賞受賞。その栄光の軌跡をたどりながら、現代高校生の素顔を鮮烈に浮かび上がらせた感動のドキュメント。 |
四十五分の演奏時間は、生徒たちにはあっと言う間の出来事だった。顔面にしたたる汗をそのままに、大滝実が最後の指揮を終えたとき、舞台上の五十六人の生徒の百十二の目は、感動と信頼の輝きを宿して大滝実の二つの目と出あった。 |
![]() 設立総会で挨拶する澤藤隆一(岩手日報から) |
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澤藤隆一は在京雫石町友会の副会長および雫石町観光大使も務めております。 2016年度から国立大学法人岩手大学 経営協議会の学外委員に就任しました→岩手大学のホームページ。いろいろ大学経営に意見を述べよということです。 |
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![]() 講義するときの佐々木寛先生 |
佐々木寛君は2015年春、信州大学教授を定年退職後、そのまま松本市にいて、ロシア語の非常勤講師を続け、在職中とあまり変わらない授業時間数を担当していました。2015年3月末の最終講義で話したことが信州大学の全学教育機構ニューズレターに載っています。2ページにわたり、高校卒業後の四十数年間に佐々木寛君のしてきたことのすべてを凝縮して書いたそうです。ロシアの哲学者・文芸学者バフチンの名前は、文学・文化学関係の研究者ならば誰でも知っているそうですよ。ご覧下さい |
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その後2018年11月末に小脳内の出血で松本市内の病院に入院し、3ヶ月半のリハビリ入院を終えて退院されたそうです。左腕と左脚に後遺症はありますが、杖なしでも一気に1,000mくらいは歩けるし、バスや電車にも一人で乗れるとのこと。奥様の実家、横浜市に転居されました。幸いにして言語運用の部分は、口頭での会話も含めて、損傷を免れたので、研究者として仕事をしてゆく上での支障は無く、入院中も、リハビリ訓練の合間をぬってロシア語の翻訳を続け、論文一本半を訳出したおかげで退屈はしなかったそうです。 |
2013年9月27日の岩手県議会定例会で議長に就任した千葉 伝君は、任期2年を全うし、2015年の県議会議員選挙(八幡平市ブロック)で無投票当選されました。 右写真・・・南部盛岡チャグチャグ馬コ保存会(会長・谷藤裕明盛岡市長)を構成する盛岡市と矢巾町、滝沢市が、馬コパークいわて(旧ポニースクール岩手)の存続に関し統一要望を県に対し行いました。県が平成26年度当初予算に馬コパークいわての有効活用を図るための経費を計上したことを受けて、3自治体の首長と議会議長が2月13日、達増県知事と千葉県議会議長を訪問し、感謝の言葉を伝えました。右は川村矢巾町長らと共に千葉伝議長に感謝の言葉を伝える柳村典秀滝沢市長(当時)
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![]() 柳村典秀滝沢市長が千葉 伝議長(右)に感謝の訪問 |
日本の生命科学・医学出版界をリードする羊土社の創業者![]() ![]() |
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羊土社は、日本の生命科学や臨床医学系の出版社として2021年で創立42年、今や澤藤の見るところ、日本屈指の医学・生命科学出版社です。澤藤にもメルマガが届きますが、単にペーパー書籍にとどまらず、見やすいホームページ、メールマガジン配信など、常に時代にフィットする手法を考案し、対応するところが素晴らしいと思います。書籍の電子化の要望に対しては、「実験医学」誌のバックナンバーを電子PDF化した「Digital
Archive」を完備するなど、常に読者、お客様の目線に立った活動をされており、これがまた羊土社の評価を高めることにつながっているのでは?と推量します。遺伝子研究のような難しい分野にいち早く注目し、実験動物分野から雑誌を立ち上げて、今では当たり前ですが、当時は大変な先見の明だったと思います。恐らく筆舌に尽くし難い苦労をされて今日があるのでしょうが、これも裕子さんのあの情熱、タジタジするような熱血、このパワーがあったればこそ、でしょう。 ![]() 2021年1月より羊土社は新体制となりました。一戸-葛西 裕子さんが代表取締役会長に、そして一戸-葛西 敦子さんが代表取締役社長に就任しました。一戸さんは葛西さんにもなってるわけです。 |
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関雄幸君は、かみつけ信用組合(高崎市)の理事長でしたが、2012年11月に東群馬信用組合(伊勢崎市)と合併して誕生したぐんまみらい信用組合の会長に就任しました。預金残高、融資残高ともに群馬県内信用組合で最大となったぐんまみらい信用組合の関雄幸会長に、合併のメリットや今後の課題、県内の経済情勢などを聞いた読売新聞のインタビュー記事が載っていました(時間経過と共に削除されました) 関雄幸君は、ついに退任して長い単身生活に区切りを付けました これからいつでも同期会に出れるそうです(2014年1月25日の新年会で語る) 関 雄幸君の--->エッセイ(漢検主催の「日本語教育研究所」客員研究員だった頃、同所発行の研究所年報に掲載されたエッセイ等をEXCELに載せたもの。この夏には1年越しで立命館大学認定の【漢字教育士】となったそうです) |
![]() 毎日新聞社で経済関係の論客として長く論説委員を務めていた今松英悦君が、次の本を出版(共著)されましたので、お知らせします。是非、手にとってお読みください (今松英悦君は残念ながら2013年11月7日ご逝去されました) タイトル:そして「豊かさ神話」は崩壊した
−日本経済は何を間違ったのか−
出版社:近代セールス社 価 格:1,890円(税込) 発刊日:H24.10.1 著者:今松英悦、渡辺精一(4章、7章)
下記にアクセスすると、近代セールス社のHPにはいり、この本の目次、冒頭部分の立ち読みが可能です。
http://www.kindai-sales.co.jp/item/185701.htm
![]() ![]() 40年近い記者生活の、経済を中心とした多分野にわたる総括とも言える大作です。
大変平易な文章で書かれていますが、同時代を生きた同期の私達が自らの軌跡を思い起こしながら、かみしめて読む一冊です。
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【要約と詳説】3.11は日本のみならず世界に、成長追求の経済システムを終わりにし、新システム構築を迫りました。 経済成長イコール「豊かさを手に入れること」だと信じ、ひたすら成長を追い求めてきた日本。しかし、それは決して、私たちに幸福や安心をもたらしてくれる、真の意味での豊かさにつながる道ではありませんでした。 ![]() 【澤藤隆一コメント】この本に書かれた今松英悦君の願いとは裏腹に現在の日本経済は進んでいるように見受けます。草葉の陰で歯軋りしておられるかもしれませんね。 |
在京白堊会の会長は馬場信(S41)さん、2名の副会長の一人は我らが同期戸来年樹君のお姉さんのソウ子さん(S40)でした。事務局長は2005年から玉澤健児君、2名の事務局次長の一人は大澤邦雄君でしたが、2012年5月12日の在京白堊会総会で引退しました。在京白堊会の事務所は、以前は星野健秀君のところでした。在京白堊会を長く支えてきたのは、我らが43年卒だということです。玉澤健児君は2013年12月、星野健秀君に代って常任幹事に就任、2018年退任されました。会長は内村泰さん(S39)となりましたが、残念ながら在任2年にして亡くなられ、馬場信(S41)さんが一時復帰、その後一戸裕子さんの従弟の戸田純さん(S48)が2018年に会長に就任され、役員が大幅に若返りました。在京白堊会役員名簿 大澤邦雄君は2014年岩手に帰り、現在は滝沢市に住んで盛岡の白堊43会に参加しております |
在京白堊会は昭和44(1969)年5月13日に上野・精養軒で設立総会を開き、設立されました。きっかけはその前年の第50回夏の甲子園大会に硬式野球部が出場してBEST8まで進んだ出来事です。忘れもしない私たちが高校を卒業した直後の夏、小笠原投手が投げて、甲子園に異様なバンカラ応援が轟いて「ナンジャコリャ」と全国的にビックリされたのです。準々決勝の相手は沖縄・興南高校で、当時まだ沖縄は米国の占領下にありました(復帰は昭和47年=1972)。当然のように球場全体が興南高校を応援する熱気に包まれ、東北からやってきたバンカラ応援はさながらヒールの有様、しかも校歌があのマーチです。ブラバンも無い蛮声張り上げた応援はしかしながら、全国的に有名になり、盛岡第一高等学校の名を知らしめました。この応援を機に、在京白堊会を作ろうということになったわけです。事務局は、岩手銀行のある日本橋のビルの7階にあった工藤法律事務所に置くことになりました。弁護士の工藤祐正さん(S17)は、爾来世話人代表兼事務局長としてずっと在京白堊会を支えてこられましたが、平成4年(1992)工藤さんが亡くなられて、さあ事務所をどうするんだということで大騒ぎになったのだそうです。結果的に星野健秀法律事務所に置くことになりましたが、当時星野君は新進気鋭の弁護士で、在京白堊会の世話人たちから見ればまだ若造でしたが、よくもまあ引き受けたものだと思います。1996年にそれまでの世話人から会長制となり、及川昭伍さん(S25)が会長となり、星野健秀事務局長のもとで岩澤新治さんが事務局次長になりました。1999年に事務所が秋葉原の産報出版に移転し、事務局長は星野君から馬場信さん(S41)に代りました。以来2005年に玉澤健児税理士事務所に移転するまでこの体制が続きました。星野健秀君は2013年までの長きにわたり常任幹事を務められました。実に20年にわたって在京白堊会を支えたのです。 |
![]() 及川昭伍さんに続き星野健秀君に感謝状 |
![]() 大澤邦雄君への感謝状 |
戸田公明君が大船渡市長に!
![]() 2006年新年会(池袋)2次会での戸田君 |
戸田公明君は2006年まで在京白堊43会に参加されていました。池袋での新年会は澤藤隆一が幹事を務めました。 2006年9月に故あって清水建設を退職してふるさと大船渡に帰って来た戸田君は、2006年11月26日投票の大船渡市長選挙に引っ張り出されました。しかし4期目を目指した当時の現職・甘竹市長を向こうに回して、投票率81.4%の高率選挙に持ち込んで13,128票を獲得したものの、1,944票差の惜敗でした。 翌2007年1月医療法人勝久会の専務理事に就任し、2010年9月まで務めました。 そして2010年11月14日告示、21日投票の大船渡市長選挙は甘竹勝郎市長(67)が1994年以来4期16年、今期限りでの勇退を表明し、戸田君は8月「長い海外生活を含むゼネコン勤務の経験を市政に生かしたい」と意欲を語り、出馬を表明しました。いずれも無所属の保守系新人3人の争いになり、前回選挙で甘竹市長を追い詰めて、大善戦だった戸田君が、その知名度を生かして1986年以来24年ぶりの新人同士の争いを、差をつけて制しました。 |
投票率は76.55%、開票結果は戸田公明君(61)=公明党推薦が、11,531票、市議で水産会社会長の鎌田和昭氏(64)が7,062票、自民党を離党し、市議を辞職して立候補した会社役員の平山仁氏(41)が6,927票で、戸田君が前回に続く立候補で、知名度十分、あいさつ回りやミニ集会をこなして見事当選につなげました。初登庁は12月3日(金)でした。![]() しかし2011年3月11日発生の東日本大震災によって、一転大変な立場となりました。 マスコミにも度々登場していますが、大船渡の再興のために、頑張ってください。 |
![]() 当選を聞き奥様と万歳 |
「三陸・大船渡東京タワーさんままつり」と「戸田君を囲む会」
2011年さんままつり→クリック 2012年さんままつり→クリック 2013年さんままつり→クリック 2015年さんままつり→クリック
2017年さんままつり→クリック 2018年さんままつり→クリック
戸田君を囲む会2013 戸田君を囲む会2014 戸田君を囲む会2016 戸田君を囲む会2017 戸田君を囲む会2018
戸田公明君、再選!
任期満了に伴う、東日本大震災後初の大船渡市長選は、2014年11月16日告示、23日投票で、同市盛町のリアスホールで即日開票されました。再選を目指す現職戸田公明(きみあき)氏(65)と、新人で前市議佐藤寧(やすし)氏(47)の一騎打ちでした。戸田氏は、▽創造的復興と発展▽結婚・妊娠・出産・育児の切れ目ない支援▽保健・医療・介護・福祉の連携強化−などを公約に掲げています。市議19人中8人が支持し、自民、民主、公明と連合岩手、岩手友愛会の推薦を受けて、磐石の態勢です。一方佐藤氏は8月に市議を辞職し、10月に出馬表明しました。▽市民が納得できる復興▽被災者に寄り添う施策▽雇用・子育て・教育・福祉施策の一体的な推進−などを掲げています。市議2人が支持しています。![]() 戸田 公明(65)無現 1万2,062票 佐藤 寧 (47)無新 9,400票 投票率は67.34%で、前回、2010年を9.21ポイント下回り、過去最低となりました。これは国政でもそうですが、国民の選挙離れが進んでいるのと、高齢化のせいでしょうか。 東日本大震災被災地域では、福島県で現職の落選が相次ぎました。原発がらみでしょう。大船渡市は近隣自治体に比べ復興が最も進んでいますが、それでも「遅い」という人が多いのでしょうね。謙虚に受け止めて頑張ってもらいましょう。 |
![]() 万歳する戸田公明氏と範子夫人 |
戸田公明君、三選!
震災復興の先を見据えた「ポスト復興」のあり方が争点となった、大船渡市の市長選挙は、2018年11月25日、投票が行われ、無所属の現職、戸田公明君が、元参議院議員の藤原氏を抑え、3回目の当選を果たしました。前回選挙での戸田君は、複数の政党から支援を得て、市議の多くからも支持を得たのですが、今回は地元では有名な政治家が相手、藤原氏は市内企業を回って前回の戸田支持基盤を切り崩す動きに出ました。市政の刷新を訴えた相手の動きに、終盤情勢は混沌とした激しい戦いと報じられていました。18歳に選挙権年齢が引き下げられて初の選挙であり、浮動票がどう動くか投票日直前でも見通し不明との報道でした。案の定、開票結果は僅差でした。 戸田公明(69)無現 1万2,074票 藤原良信(67)無新 1万1,052票 わずか1,022票差で辛くも逃げ切ったというところです。前回選挙でも市議から立った人が意外な善戦を見せ、復興への取り組みへの不満が一部にあることを知らされました。震災後、2回目の選挙となった今回は、進む復興の先を見据えた「ポスト復興」のあり方が大きな争点となりました。戸田君は2期8年の実績をアピールし、▼災害公営住宅などで暮らす高齢者の孤立を防ぐためのコミュニティ支援のほか、▼市の基幹産業の水産業などで6次産業化を進めて市民所得の向上を図ることなどを訴えました。 戸田君は、「苦しい戦いでしたが、自分の2期8年の実績と訴えが評価された結果だと感じています。まずは、復興計画を終わらせて、人口減少や高齢化に対応する地域力をつけるため、経済や医療などあらゆる面での振興を図っていきたい」と抱負を語ったと報道されています。 |
万歳する戸田公明氏と範子夫人 |
今回の投票率は73.91%で、前回・4年前を6.57ポイント上回りましたが前々回の76.55%には及びませんでした。期日前投票も前回の1.7倍で、選挙への関心の高さがうかがわれました。 戸田公明君は知名度と真面目さ、ソフトな面が市内地域を問わず広く浸透し、女性の支持が高かったようです。戸田公明後援会(水野公正会長)は、組織を再構築し、選対本部の中心となりました。国民民主党県連や連合岩手、市漁協などが推薦し、共産党大船渡市委員会が自主支援しました。国民民主党県連の黄川田徹代表や田村誠県議、市議7人が支持し、事務所開きや総決起大会では戸羽太陸前高田市長や神田謙一住田町長も応援に駆け付けました。 一方の無所属新人で元参議院議員藤原良信氏は、岩手県議会議員の後、小沢一郎氏の意を受けて参議院議員1期、2013年の選挙で落選しました。今回は県議と国政26年の実績を掲げ、自民党大船渡市支部が支援し、市議の半数を超える11人の支持もあったほか、市内の事業所のトップらも応援に駆け付けて、特に中高年男性に支持を広げました。これまで保革問わず幅広い支持を受けてきた戸田君が、保守層を切り崩された形ですが、最後は女性の支持が決め手になったのではないでしょうか。岩手県内各地の首長選挙でも、女性の支持の多寡が勝負の決め手になるケースが最近良く見られます。さあ、2022年12月2日の任期まで4年間頑張れ! |
![]() 2019年3月9日安倍首相と |
![]() 2021年10月16日岸田首相と |
戸田公明君、引退!
戸田公明君は2022年12月2日 3期12年の大船渡市長の職を退任されました
下写真は 職員への退任挨拶と見送りへの挨拶を行い 大船渡市役所を後にする光景です
2006年に大船渡へ帰り 2010年12月に大船渡市長となって間もなく発生した東日本大震災からの復興に奮闘しました
苦難の12年間を市民はじめ多くの機関-団体-個人からの励ましと支援を受けて 努力し続けて 惜しまれながらの引退です
地方自治体の首長というのは、まさに休みなく働き続けるもので しかも大震災からの復興という重いテーマと向き合って
艱難辛苦の日々であっただろうと思います 惜しまれながらカッコ良く引退するかのように見えますが本当にご苦労様でした
![]() 大船渡市職員の拍手の中 市役所を後に... |
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本人のFacebookより転載
細田敬一君、盛岡市副市長退任
◎細田敬一君が盛岡市副市長任期満了(2014年) 細田敬一君が2014年3月任期満了で退任し、引き続き盛岡市危機管理統括官として市民のために尽くすそうです。代る副市長は藤尾善一さんになりました。藤尾善一さんは白堊45会、我々の2年後輩で、谷村さんの後任として白堊会の会長に就任しました。谷藤市長や、佐藤光彦副市長と同期、市長、副市長2人、同期揃い踏みですね。在京白堊45会では加藤文也さん、岩澤新治さん、千葉順成さんが活躍され、在京盛岡広域産業人会幹事の齋藤至幸さん、幹事は引退しましたが小笠原政教さん、同じく齊藤新一さんは元岩手県産業人会代表でもありましたが、現在は盛岡に戻られました。同じく元幹事だった水本良則さんは矢巾町副町長に転進されました。更に奥山恵美子元仙台市長など、人材豊富です。 ◎細田敬一君が池田克典君の後任で盛岡市副市長に就任(2010年) 盛岡市は2010年3月26日、我らが同期の池田克典副市長の後任に、元県警刑事部長で岩手銀行法務顧問の細田敬一君を充てる人事を発表しました。市議会3月定例会で同案を可決、4月1日付で就任します。選任理由について、谷藤裕明市長は「市が取り組む安全・安心な街づくりを進めるため」と、県警での経験を評価しました。 ![]() (盛岡市広報2010 5月15日号1289より転載) |
在京の岩手県人に馴染み深い「いわて銀河ぷらざ」を運営する岩手県産株式会社の代表取締役社長に、平成21年我らが同期の和嶋憲男君が就任いたしました。本社は矢巾町の流通センターにあります。 |
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三舩康道君は次から次へと著作や寄稿をされております。未紹介のものはお待ちください。 また、経営されているジェネスプランニング(株)のホームページ(http://genes-planning.com/)を見れば、その活躍がよく分かります
◎迎賓館案内ボランティアを組織した三舩康道君
◎三舩康道君の執筆紹介
◎三舩康道君の執筆紹介 近代消防2018年11月号に、三舩康道君が2篇執筆しています。「平成30年7月豪雨の被災地レポート(岡山県倉敷市真備町、広島県広島市安佐北区を視察)」(46〜49ページ)と「日本列島震度7の時代(北海道胆振東部地震の被災地を視察)」(81〜85ページ)です。西日本7月豪雨の被災地では、広範囲の豪雨の被害の中で、コンクリートの堤防の被害が印象的だったそうです。苦労話を交えて書いたとのこと。ところが7月に書いた記事が、11月号で北海道の地震と一緒に掲載されることになりました。本当に2018年は災害の年だったと言えますね。 ◎三舩康道君が司会して「J.H.モーガンを語るシンポジウム&コンサート」 横浜市の旧根岸競馬場で行う、イベント 10月6日(土)13:30〜15:45 馬の博物館(横浜市中区根岸台1-3) チラシ ![]() ◎三舩康道君の「平成30年北海道胆振東部地震緊急視察報告会」 平成30年9月6日、午前3時頃、、「平成30年北海道胆振東部地震」が発生しました。そして最大震度7が厚真町で記録され、大規模な停電も発生し、一時的に北海道は孤立状態になりました。いよいよ我が国も震度7の時代に入ったと思います。航空便が再開された、9月9〜10日にかけて、被災地の厚真町、清田区、北広島市の被災地を視察してきました。 このたび、以下の要領で、緊急的に視察報告会を開催します。関心のある方は、ご参加の程、よろしくお願いいたします。 ・主催:災害事例研究会 ・日時:平成30年9月27日(木)18:30〜20:00(18:10開場) ・会場:浅草文化観光センター、5階、大会議室 台東区雷門2-18-9 ・テーマ:「日本列島震度7の時代」 三舩康道(ジェネスプランニング(株)) ・参加費:1000円(資料代)、終了後懇親会あり ・その他:チラシ参照 ・申込み:ship3@coral.ocn.ne.jp TEL:03-6715-7801 ◎三舩康道君がテレビ出演に引っ張りだこ・・・結局“ブロック塀”で5回もテレビ出演したそうです 三舩君から2018年6月20日(水)、メールがありました・・・「月曜日、夕方NHK、18:10からの首都圏ネットワークに出ました。今日もロケをしてきました。明日のNHK、7時からの「おはよう日本」です。今回はブロック塀です。おはよう日本は10年ぶりぐらいです」とのこと。6月18日夜のNHK首都圏ニュース845では「危ない“ブロック塀”どうする」という特集が組まれ、三舩康道君が出演したそうです。6月18日夜は盛岡に居たのでNHK首都圏ニュース845は見れませんでした。
浅草おかみさん会の会報に三舩君が寄稿した「並木藪蕎麦の建替え事例」の紹介(PDF)です。共同組合浅草おかみさん会は、浅草仲見世老舗手打ちそば「十和田」の四代目女将;冨永照子さんが会長を務め、ふるさと創生ニッポンおかみさん会も、冨永照子さんが中心となって組織している全国の組織で、全国の女性経営者や女性個人会員が会員となっています。 ◎三舩康道君の出版記念シンポジウム 2018年4月14日(土)18:00〜浅草観光文化センターで、「新たな共助社会の創造」の出版記念シンポジウムを開催 → お知らせ
◎三舩康道君の執筆紹介 近代消防2018年6月号に、三舩康道君の「糸魚川市駅北復興まちづくりシンポジウム2017」のレポートという記事が78ページから80ページにわたって掲載されました。 近代消防2018年2月号に、三舩康道君の「東日本大震災から6年後、被災地の復興状況」という記事が56ページから64ページにわたって掲載されています。2017年7月の視察旅行時点での状況レポートが写真入りで詳しく報告されております。三沢空港に降り立って、レンタカーで青森県から岩手県、宮城県、福島県と海沿いを視察、いわき市までの5日間の旅でした。ご苦労様でした。
◎三舩康道君がテレビ出演 また2017年12月2日テレビ朝日18:56〜20:54「ニッポン視察団」で外国人に聞いた日本の「建造物ランキング」が発表され、三舩康道君が専門家として出演しました。この番組は、外国人専門家集団=「視察団」を日本に招き、さまざまな場所や人を視察してもらうものです。彼らが思わず「ニッポン、スゴ〜イデスネ!」と言ってしまった“母国と大きく異なる、日本のスゴさを感じること”をVTRで詳しく紹介します。外国人の視点だからこそ、さらに浮き彫りになる日本のスゴさ、そして海外との違い...日本人でも知らなかった“日本の素晴らしさと独自性”を新発見でき、もっと日本が好きになれるバラエティです。 さて今回は日本の近代建築、伝統建築、神社がテーマでした。爆笑問題、ウエンツ瑛士、石原良純などが出演します。三舩君の顔はチラチラ映るのですが、いつ解説するかと期待しているのになかなかしゃべりません。かなりカットされたみたいです。 外国人のプロと観光客が感激した!ニッポンのスゴイ建造物ベスト25
◎三舩康道君がまたまた本を出しました 最近出版した本を紹介します。 @2012年9月「減災と市民ネットワーク」(学芸出版社)2500円+税 大規模災害対策として、防潮堤などのハード面の施設の整備とともに、市民のネットワークにより被害を少なくしていこうという趣旨の本です A2013年11月「転ばぬ先の玉手箱」(万来舎)1800円+税 災害や食、介護、レジャーやペットなどに関する「わざわい」について、多分野の専門家が、わかりやすく対応策をまとめた一般向けの本です。 この本は一般書店では扱っていません。希望者は三舩君まで連絡下さい→メール |
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◎三舩康道君が第18回震災対策技術展で講演
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◎三舩康道君がまたまた新聞種に!?その5![]() |
2011年10月26日、朝日新聞に三舩康道君が会長の「歴史・文化のまちづくり研究会」による都庁での写真展が掲載されました |
◎三舩康道君がまたまた新聞種に!?その4 三舩康道君の活動が新聞(岩手日報2011年4月10日版)に掲載されました。4月9日に東大で開催された災害事例研究会の内容です→クリック(pdf) ![]() このページや、「お知らせ」のページで過去たびたびご紹介してきましたが、元々は東大の建築工学の方々が中心になって始めたものらしく、警視庁鑑識課OBや東京消防庁、ゼネコン、災害関係の研究所、保険会社、セコム、大学の先生など、災害と安全に関わる様々な人たちが会員となって、会場を借りるために毎回1,000円の会費を拠出し、月1回土曜日東京大学に自腹で交通費を払ってやってきます。奇特な人達ですが、ここで得た知見を、「震災対策技術展」という展示会でシンポジウムを行って紹介しています。ちなみに2009年には東海地震の懸念される静岡市で開催し、このときの登壇者は、村上處直氏、佐取朗氏、柳田邦男氏、三舩康道氏でした。災害に関して詳しい人は知っているメンバーのはずです。現在は潟Wェネスプランニング代表の三舩康道君が会長を務めています。会長の関係で弗田君と澤藤が引っ張り込まれています。弗田君は生命保険屋さんですから少しは関係あるでしょうが、澤藤は全く業務上災害には関係しない、したくないのですが・・・。本郷キャンパスの学士会館分館が使えなくなり、三四郎池脇の山上会館に会場を移しましたが、かなり奥のほうなので、2011年4月からは東京メトロ南北線「東大前」駅下車徒歩1分、農学部の正門入って、すぐ左の弥生講堂アネックス・エンゼル研究棟・講義室に移ることになり、最後の山上会館開催が3月12日の予定でした。あの地震で3月11日夜事務局からメールがあり、定例会中止・・・当然ですね。ところが事務局とは三舩康道君の会社で、これがまた耐震基準改訂前のビルの中にあり、避難していて、やっと事務所に戻ってきてメールしたとのこと、災害事例研究会の事務局がそういうことでは???ですが、先立つものが??? なお、2012年現在、会場は山上会館に戻っています。 もしご興味ある方は、三舩康道君にご連絡下さい。 ◎三舩康道君がまたまた新聞種に!?その3 ◎三舩康道君がまたまた新聞種に!?その2 ![]() ◎三舩康道君がまたまた新聞種に!? |
「孤軍の城」 〜武田・織田の間で戦国女性おつやの方は?〜
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森田健二君は2021年10月25日(月)ご逝去されました 在京白堊会の昭和43年次幹事として澤藤隆一とともに務めておられました 皆様ご存知の如く盛岡一高から東京大学に進み 卒業後農林水産省に勤務されました 1999年玉澤徳一郎氏が農林水産大臣だったときには 事務次官が高木勇樹氏 審議官が熊澤英昭氏の時代 統計情報部流通消費統計課長や生産統計課長を歴任されました その後生研機構や横浜植物防疫所長など色々な部署で活躍されました 農水省退官後は(社)日本植物防疫協会常務理事に就任されました 最後は植物防疫資料館の館長を務められました 植物防疫技術発展の歴史の中で ともすれば忘れ去られ 散逸しがちな資料や記録をとりまとめ 後世に残すことをねらいとして作成された資料館史料の最後は史料15「昭和10年代の植物防疫」(森田健二著・2016年12月)です ![]() お役人だったので口が堅く 決して他人の悪口は口にしないばかりか 常に冷静に物事を語る真摯なお人柄でした 犬を可愛がり なかなか旅行に行けないよと口にしておられました 頭が良いだけでなく 実は運動能力も高い人でした これから人生を楽しむばかりか 色々な面でまだまだ世の中に貢献して頂けるものと思っていましたのでまことに残念です ![]() 2017年5月13日(土)在京白堊会総会で |
![]() 植物防疫資料館史料15「昭和10年代の植物防疫」 |