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同期の近況 |
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43年卒の近況を紹介するページです | ![]() |
 邨野継雄  |  澤藤隆一  |  佐々木寛  |  千葉 伝  |  一戸-葛西裕子  |  関 雄幸  |  今松英悦  |  玉澤健児と大澤邦雄  |  星野健秀  |  戸田公明  |  細田敬一  |
 和嶋憲男  |  三舩康道  |  野田真理子  |  森田健二  |
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![]() 2002年の邨野君 |
平成が終わり令和になりました。昭和はますます遠ざかります。2008年から週刊朝日で不定期連載されてきた「昭和からの遺言」の取材記者は我らが邨野継雄君。戦争を挟んだ激動の昭和という時代を語るのに、この人を措いてはいないという人物を各界から選び、直接、話を聴いて連載された週刊朝日の「昭和からの遺言」が朝日新聞出版から単行本になりました。中曽根康弘元首相、漫画家ちばてつや氏、俳優三國連太郎氏(故人)ら43人が、戦争や劇的な復興を経たエネルギーにあふれた時代を振り返るものです。昭和という時代を設計し、創造し、動かしてきた人物の生の声を丹念に聴き取って遺した歴史に残る本です。どなたも思春期に戦争を生身で体験し、戦前からの歴史を肌で知っています。今の政治家を含め「戦争を知らない」世代の無責任な虚言とはちょっと違うのです。私達は「昭和からの遺言」に耳を傾け、令和も平和な時代であるよう見つめ続けて行かなければなりません。 |
邨野継雄君『心の音楽うたを奏でよう 邨野継雄君は、1988年8月に朝日新聞社から『心の音楽(うた)を奏でよう』という本を出版されています。埼玉栄高校吹奏楽部の13年間、学校生活、クラブ運営の中で、高校生たちが悩み、壁にぶつかる様子をクールに見つめた学園青春記です。筆者の白堊の青春は、横暴な上級生の無体な要求に苦しむ一方で、混沌として猥雑な学校に、多様な価値観を持った教師たちと多様な可能性を有した生徒たちがいて、彼らはせめぎあい、自由であり自尊を保てる場があって、その自尊にエールを送ってくれる一群の教師たちが居ました。しかしいつのころからか、学校はひとつの価値だけを主張し、押し付ける場になってしまったようです。生徒の側から折り合いをつけるのが難しくなってしまったのです。 |
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全日本吹奏楽連盟推薦 |
ロックが好きなヤツもいる。楽譜が読めないヤツもいる。マジな彼女も、シラケタ彼も、楽器を手にとりゃ生き返る。−−私立埼玉栄高校の吹奏楽部にウィーン国際音楽コンクールから招待状が届いた。国際舞台に通じるのか−−期待と不安を胸に出場してみると、結果は思いもよらぬ大賞受賞。その栄光の軌跡をたどりながら、現代高校生の素顔を鮮烈に浮かび上がらせた感動のドキュメント。 |
四十五分の演奏時間は、生徒たちにはあっと言う間の出来事だった。顔面にしたたる汗をそのままに、大滝実が最後の指揮を終えたとき、舞台上の五十六人の生徒の百十二の目は、感動と信頼の輝きを宿して大滝実の二つの目と出あった。 |
![]() 設立総会で挨拶する澤藤隆一(岩手日報から) |
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澤藤隆一は在京雫石町友会の副会長および雫石町観光大使も務めております。 2016年度から国立大学法人岩手大学 経営協議会の学外委員に就任しました→岩手大学のホームページ。いろいろ大学経営に意見を述べよということです。 |
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![]() 講義するときの佐々木寛先生 |
佐々木寛君は2015年春、信州大学教授を定年退職後、そのまま松本市にいて、ロシア語の非常勤講師を続け、在職中とあまり変わらない授業時間数を担当していました。2015年3月末の最終講義で話したことが信州大学の全学教育機構ニューズレターに載っています。2ページにわたり、高校卒業後の四十数年間に佐々木寛君のしてきたことのすべてを凝縮して書いたそうです。ロシアの哲学者・文芸学者バフチンの名前は、文学・文化学関係の研究者ならば誰でも知っているそうですよ。ご覧下さい |
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その後2018年11月末に小脳内の出血で松本市内の病院に入院し、3ヶ月半のリハビリ入院を終えて退院されたそうです。左腕と左脚に後遺症はありますが、杖なしでも一気に1,000mくらいは歩けるし、バスや電車にも一人で乗れるとのこと。奥様の実家、横浜市に転居されました。幸いにして言語運用の部分は、口頭での会話も含めて、損傷を免れたので、研究者として仕事をしてゆく上での支障は無く、入院中も、リハビリ訓練の合間をぬってロシア語の翻訳を続け、論文一本半を訳出したおかげで退屈はしなかったそうです。 |
2013年9月27日の岩手県議会定例会で議長に就任した千葉 伝君は、任期2年を全うし、2015年の県議会議員選挙(八幡平市ブロック)で無投票当選されました。 右写真・・・南部盛岡チャグチャグ馬コ保存会(会長・谷藤裕明盛岡市長)を構成する盛岡市と矢巾町、滝沢市が、馬コパークいわて(旧ポニースクール岩手)の存続に関し統一要望を県に対し行いました。県が平成26年度当初予算に馬コパークいわての有効活用を図るための経費を計上したことを受けて、3自治体の首長と議会議長が2月13日、達増県知事と千葉県議会議長を訪問し、感謝の言葉を伝えました。右は川村矢巾町長らと共に千葉伝議長に感謝の言葉を伝える柳村典秀滝沢市長(当時)
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![]() 柳村典秀滝沢市長が千葉 伝議長(右)に感謝の訪問 |
日本の生命科学・医学出版界をリードする羊土社の創業者![]() ![]() |
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羊土社は、日本の生命科学や臨床医学系の出版社として2021年で創立42年、今や澤藤の見るところ、日本屈指の医学・生命科学出版社です。澤藤にもメルマガが届きますが、単にペーパー書籍にとどまらず、見やすいホームページ、メールマガジン配信など、常に時代にフィットする手法を考案し、対応するところが素晴らしいと思います。書籍の電子化の要望に対しては、「実験医学」誌のバックナンバーを電子PDF化した「Digital
Archive」を完備するなど、常に読者、お客様の目線に立った活動をされており、これがまた羊土社の評価を高めることにつながっているのでは?と推量します。遺伝子研究のような難しい分野にいち早く注目し、実験動物分野から雑誌を立ち上げて、今では当たり前ですが、当時は大変な先見の明だったと思います。恐らく筆舌に尽くし難い苦労をされて今日があるのでしょうが、これも裕子さんのあの情熱、タジタジするような熱血、このパワーがあったればこそ、でしょう。 ![]() 2021年1月より羊土社は新体制となりました。一戸-葛西 裕子さんが代表取締役会長に、そして一戸-葛西 敦子さんが代表取締役社長に就任しました。一戸さんは葛西さんにもなってるわけです。 |
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関雄幸君は、かみつけ信用組合(高崎市)の理事長でしたが、2012年11月に東群馬信用組合(伊勢崎市)と合併して誕生したぐんまみらい信用組合の会長に就任しました。預金残高、融資残高ともに群馬県内信用組合で最大となったぐんまみらい信用組合の関雄幸会長に、合併のメリットや今後の課題、県内の経済情勢などを聞いた読売新聞のインタビュー記事が載っていました(時間経過と共に削除されました) 関雄幸君は、ついに退任して長い単身生活に区切りを付けました これからいつでも同期会に出れるそうです(2014年1月25日の新年会で語る) 関 雄幸君の--->エッセイ(漢検主催の「日本語教育研究所」客員研究員だった頃、同所発行の研究所年報に掲載されたエッセイ等をEXCELに載せたもの。この夏には1年越しで立命館大学認定の【漢字教育士】となったそうです) |
![]() 毎日新聞社で経済関係の論客として長く論説委員を務めていた今松英悦君が、次の本を出版(共著)されましたので、お知らせします。是非、手にとってお読みください (今松英悦君は残念ながら2013年11月7日ご逝去されました) タイトル:そして「豊かさ神話」は崩壊した
−日本経済は何を間違ったのか−
出版社:近代セールス社 価 格:1,890円(税込) 発刊日:H24.10.1 著者:今松英悦、渡辺精一(4章、7章)
下記にアクセスすると、近代セールス社のHPにはいり、この本の目次、冒頭部分の立ち読みが可能です。
http://www.kindai-sales.co.jp/item/185701.htm
![]() ![]() 40年近い記者生活の、経済を中心とした多分野にわたる総括とも言える大作です。
大変平易な文章で書かれていますが、同時代を生きた同期の私達が自らの軌跡を思い起こしながら、かみしめて読む一冊です。
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【要約と詳説】3.11は日本のみならず世界に、成長追求の経済システムを終わりにし、新システム構築を迫りました。 経済成長イコール「豊かさを手に入れること」だと信じ、ひたすら成長を追い求めてきた日本。しかし、それは決して、私たちに幸福や安心をもたらしてくれる、真の意味での豊かさにつながる道ではありませんでした。 ![]() 【澤藤隆一コメント】この本に書かれた今松英悦君の願いとは裏腹に現在の日本経済は進んでいるように見受けます。草葉の陰で歯軋りしておられるかもしれませんね。 |
在京白堊会の会長は馬場信(S41)さん、2名の副会長の一人は我らが同期戸来年樹君のお姉さんのソウ子さん(S40)でした。事務局長は2005年から玉澤健児君、2名の事務局次長の一人は大澤邦雄君でしたが、2012年5月12日の在京白堊会総会で引退しました。在京白堊会の事務所は、以前は星野健秀君のところでした。在京白堊会を長く支えてきたのは、我らが43年卒だということです。玉澤健児君は2013年12月、星野健秀君に代って常任幹事に就任、2018年退任されました。会長は内村泰さん(S39)となりましたが、残念ながら在任2年にして亡くなられ、馬場信(S41)さんが一時復帰、その後一戸裕子さんの従弟の戸田純さん(S48)が2018年に会長に就任され、役員が大幅に若返りました。在京白堊会役員名簿 大澤邦雄君は2014年岩手に帰り、現在は滝沢市に住んで盛岡の白堊43会に参加しております |
在京白堊会は昭和44(1969)年5月13日に上野・精養軒で設立総会を開き、設立されました。きっかけはその前年の第50回夏の甲子園大会に硬式野球部が出場してBEST8まで進んだ出来事です。忘れもしない私たちが高校を卒業した直後の夏、小笠原投手が投げて、甲子園に異様なバンカラ応援が轟いて「ナンジャコリャ」と全国的にビックリされたのです。準々決勝の相手は沖縄・興南高校で、当時まだ沖縄は米国の占領下にありました(復帰は昭和47年=1972)。当然のように球場全体が興南高校を応援する熱気に包まれ、東北からやってきたバンカラ応援はさながらヒールの有様、しかも校歌があのマーチです。ブラバンも無い蛮声張り上げた応援はしかしながら、全国的に有名になり、盛岡第一高等学校の名を知らしめました。この応援を機に、在京白堊会を作ろうということになったわけです。事務局は、岩手銀行のある日本橋のビルの7階にあった工藤法律事務所に置くことになりました。弁護士の工藤祐正さん(S17)は、爾来世話人代表兼事務局長としてずっと在京白堊会を支えてこられましたが、平成4年(1992)工藤さんが亡くなられて、さあ事務所をどうするんだということで大騒ぎになったのだそうです。結果的に星野健秀法律事務所に置くことになりましたが、当時星野君は新進気鋭の弁護士で、在京白堊会の世話人たちから見ればまだ若造でしたが、よくもまあ引き受けたものだと思います。1996年にそれまでの世話人から会長制となり、及川昭伍さん(S25)が会長となり、星野健秀事務局長のもとで岩澤新治さんが事務局次長になりました。1999年に事務所が秋葉原の産報出版に移転し、事務局長は星野君から馬場信さん(S41)に代りました。以来2005年に玉澤健児税理士事務所に移転するまでこの体制が続きました。星野健秀君は2013年までの長きにわたり常任幹事を務められました。実に20年にわたって在京白堊会を支えたのです。 |
![]() 及川昭伍さんに続き星野健秀君に感謝状 |
![]() 大澤邦雄君への感謝状 |
戸田公明君が大船渡市長に!
![]() 2006年新年会(池袋)2次会での戸田君 |
戸田公明君は2006年まで在京白堊43会に参加されていました。池袋での新年会は澤藤隆一が幹事を務めました。 2006年9月に故あって清水建設を退職してふるさと大船渡に帰って来た戸田君は、2006年11月26日投票の大船渡市長選挙に引っ張り出されました。しかし4期目を目指した当時の現職・甘竹市長を向こうに回して、投票率81.4%の高率選挙に持ち込んで13,128票を獲得したものの、1,944票差の惜敗でした。 翌2007年1月医療法人勝久会の専務理事に就任し、2010年9月まで務めました。 そして2010年11月14日告示、21日投票の大船渡市長選挙は甘竹勝郎市長(67)が1994年以来4期16年、今期限りでの勇退を表明し、戸田君は8月「長い海外生活を含むゼネコン勤務の経験を市政に生かしたい」と意欲を語り、出馬を表明しました。いずれも無所属の保守系新人3人の争いになり、前回選挙で甘竹市長を追い詰めて、大善戦だった戸田君が、その知名度を生かして1986年以来24年ぶりの新人同士の争いを、差をつけて制しました。 |
投票率は76.55%、開票結果は戸田公明君(61)=公明党推薦が、11,531票、市議で水産会社会長の鎌田和昭氏(64)が7,062票、自民党を離党し、市議を辞職して立候補した会社役員の平山仁氏(41)が6,927票で、戸田君が前回に続く立候補で、知名度十分、あいさつ回りやミニ集会をこなして見事当選につなげました。初登庁は12月3日(金)でした。![]() しかし2011年3月11日発生の東日本大震災によって、一転大変な立場となりました。 マスコミにも度々登場していますが、大船渡の再興のために、頑張ってください。 |
![]() 当選を聞き奥様と万歳 |
「三陸・大船渡東京タワーさんままつり」と「戸田君を囲む会」
2011年さんままつり→クリック 2012年さんままつり→クリック 2013年さんままつり→クリック 2015年さんままつり→クリック
2017年さんままつり→クリック 2018年さんままつり→クリック
戸田君を囲む会2013 戸田君を囲む会2014 戸田君を囲む会2016 戸田君を囲む会2017 戸田君を囲む会2018
戸田公明君、再選!
任期満了に伴う、東日本大震災後初の大船渡市長選は、2014年11月16日告示、23日投票で、同市盛町のリアスホールで即日開票されました。再選を目指す現職戸田公明(きみあき)氏(65)と、新人で前市議佐藤寧(やすし)氏(47)の一騎打ちでした。戸田氏は、▽創造的復興と発展▽結婚・妊娠・出産・育児の切れ目ない支援▽保健・医療・介護・福祉の連携強化−などを公約に掲げています。市議19人中8人が支持し、自民、民主、公明と連合岩手、岩手友愛会の推薦を受けて、磐石の態勢です。一方佐藤氏は8月に市議を辞職し、10月に出馬表明しました。▽市民が納得できる復興▽被災者に寄り添う施策▽雇用・子育て・教育・福祉施策の一体的な推進−などを掲げています。市議2人が支持しています。![]() 戸田 公明(65)無現 1万2,062票 佐藤 寧 (47)無新 9,400票 投票率は67.34%で、前回、2010年を9.21ポイント下回り、過去最低となりました。これは国政でもそうですが、国民の選挙離れが進んでいるのと、高齢化のせいでしょうか。 東日本大震災被災地域では、福島県で現職の落選が相次ぎました。原発がらみでしょう。大船渡市は近隣自治体に比べ復興が最も進んでいますが、それでも「遅い」という人が多いのでしょうね。謙虚に受け止めて頑張ってもらいましょう。 |
![]() 万歳する戸田公明氏と範子夫人 |
戸田公明君、三選!
震災復興の先を見据えた「ポスト復興」のあり方が争点となった、大船渡市の市長選挙は、2018年11月25日、投票が行われ、無所属の現職、戸田公明君が、元参議院議員の藤原氏を抑え、3回目の当選を果たしました。前回選挙での戸田君は、複数の政党から支援を得て、市議の多くからも支持を得たのですが、今回は地元では有名な政治家が相手、藤原氏は市内企業を回って前回の戸田支持基盤を切り崩す動きに出ました。市政の刷新を訴えた相手の動きに、終盤情勢は混沌とした激しい戦いと報じられていました。18歳に選挙権年齢が引き下げられて初の選挙であり、浮動票がどう動くか投票日直前でも見通し不明との報道でした。案の定、開票結果は僅差でした。 戸田公明(69)無現 1万2,074票 藤原良信(67)無新 1万1,052票 わずか1,022票差で辛くも逃げ切ったというところです。前回選挙でも市議から立った人が意外な善戦を見せ、復興への取り組みへの不満が一部にあることを知らされました。震災後、2回目の選挙となった今回は、進む復興の先を見据えた「ポスト復興」のあり方が大きな争点となりました。戸田君は2期8年の実績をアピールし、▼災害公営住宅などで暮らす高齢者の孤立を防ぐためのコミュニティ支援のほか、▼市の基幹産業の水産業などで6次産業化を進めて市民所得の向上を図ることなどを訴えました。 戸田君は、「苦しい戦いでしたが、自分の2期8年の実績と訴えが評価された結果だと感じています。まずは、復興計画を終わらせて、人口減少や高齢化に対応する地域力をつけるため、経済や医療などあらゆる面での振興を図っていきたい」と抱負を語ったと報道されています。 |
万歳する戸田公明氏と範子夫人 |
今回の投票率は73.91%で、前回・4年前を6.57ポイント上回りましたが前々回の76.55%には及びませんでした。期日前投票も前回の1.7倍で、選挙への関心の高さがうかがわれました。 戸田公明君は知名度と真面目さ、ソフトな面が市内地域を問わず広く浸透し、女性の支持が高かったようです。戸田公明後援会(水野公正会長)は、組織を再構築し、選対本部の中心となりました。国民民主党県連や連合岩手、市漁協などが推薦し、共産党大船渡市委員会が自主支援しました。国民民主党県連の黄川田徹代表や田村誠県議、市議7人が支持し、事務所開きや総決起大会では戸羽太陸前高田市長や神田謙一住田町長も応援に駆け付けました。 一方の無所属新人で元参議院議員藤原良信氏は、岩手県議会議員の後、小沢一郎氏の意を受けて参議院議員1期、2013年の選挙で落選しました。今回は県議と国政26年の実績を掲げ、自民党大船渡市支部が支援し、市議の半数を超える11人の支持もあったほか、市内の事業所のトップらも応援に駆け付けて、特に中高年男性に支持を広げました。これまで保革問わず幅広い支持を受けてきた戸田君が、保守層を切り崩された形ですが、最後は女性の支持が決め手になったのではないでしょうか。岩手県内各地の首長選挙でも、女性の支持の多寡が勝負の決め手になるケースが最近良く見られます。さあ、2022年12月2日の任期まで4年間頑張れ! |
![]() 2019年3月9日安倍首相と |
![]() 2021年10月16日岸田首相と |
戸田公明君、引退!
戸田公明君は2022年12月2日 3期12年の大船渡市長の職を退任されました
下写真は 職員への退任挨拶と見送りへの挨拶を行い 大船渡市役所を後にする光景です
2006年に大船渡へ帰り 2010年12月に大船渡市長となって間もなく発生した東日本大震災からの復興に奮闘しました
苦難の12年間を市民はじめ多くの機関-団体-個人からの励ましと支援を受けて 努力し続けて 惜しまれながらの引退です
地方自治体の首長というのは、まさに休みなく働き続けるもので しかも大震災からの復興という重いテーマと向き合って
艱難辛苦の日々であっただろうと思います 惜しまれながらカッコ良く引退するかのように見えますが本当にご苦労様でした
![]() 大船渡市職員の拍手の中 市役所を後に... |
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本人のFacebookより転載
細田敬一君、盛岡市副市長退任
◎細田敬一君が盛岡市副市長任期満了(2014年) 細田敬一君が2014年3月任期満了で退任し、引き続き盛岡市危機管理統括官として市民のために尽くすそうです。代る副市長は藤尾善一さんになりました。藤尾善一さんは白堊45会、我々の2年後輩で、谷村さんの後任として白堊会の会長に就任しました。谷藤市長や、佐藤光彦副市長と同期、市長、副市長2人、同期揃い踏みですね。在京白堊45会では加藤文也さん、岩澤新治さん、千葉順成さんが活躍され、在京盛岡広域産業人会幹事の齋藤至幸さん、幹事は引退しましたが小笠原政教さん、同じく齊藤新一さんは元岩手県産業人会代表でもありましたが、現在は盛岡に戻られました。同じく元幹事だった水本良則さんは矢巾町副町長に転進されました。更に奥山恵美子元仙台市長など、人材豊富です。 ◎細田敬一君が池田克典君の後任で盛岡市副市長に就任(2010年) 盛岡市は2010年3月26日、我らが同期の池田克典副市長の後任に、元県警刑事部長で岩手銀行法務顧問の細田敬一君を充てる人事を発表しました。市議会3月定例会で同案を可決、4月1日付で就任します。選任理由について、谷藤裕明市長は「市が取り組む安全・安心な街づくりを進めるため」と、県警での経験を評価しました。 ![]() (盛岡市広報2010 5月15日号1289より転載) |
在京の岩手県人に馴染み深い「いわて銀河ぷらざ」を運営する岩手県産株式会社の代表取締役社長に、平成21年我らが同期の和嶋憲男君が就任いたしました。本社は矢巾町の流通センターにあります。 |
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三舩康道君が国際シンポジウムで基調講演
スマトラ島沖地震インド洋津波バンダ・アチェ市復興特別防災アドバイザーとして復興計画の作成に携わった三舩康道君が、2024年11月7日にインドネシア・アチェ州バンダ・アチェ市のシャクアラ大学で開かれた防災などをテーマとする国際シンポジウムで基調講演を行いました。その模様が新聞に掲載されましたのでご紹介します。
●東京新聞 2024年12月11日 「東上野の防災コンサル 三舩さん インドネシアで基調講演」 PDF
●岩手日報 2024年12月23日 「スマトラ沖 教訓未来へ 26日で地震発生20年 現地の復興に尽力
盛岡出身・三舩康道さん 東日本と重ね課題発信」 PDF
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三舩康道君はジェネスプランニング株式会社代表取締役として、現代建築および歴史的建造物の保存や活用に関する業務を行っています。他にも希望郷いわて文化大使、NPO法人;歴史的建造物とまちづくりの会理事長、NPO法人;災害情報センター理事、東京文化資源会議幹事、災害事例研究会代表、台東区まちづくり相談員、盛岡市まちづくりアドバイザーなど多方面で活躍されています。また、みなとみらい21地区防災計画の作成、スマトラ島沖地震インド洋津波バンダ・アチェ市復興特別防災アドバイザーとして復興計画の作成、その他各地の防災関連の業務を行っているほかに、歴史的建造物の保存・活用及びそれに伴うまちづくりを推進することを目的とした活動を行っております。 | ![]() |
◎三舩康道君の執筆紹介 近代消防2019年6月号に、三舩康道君が「糸魚川市駅北大火2年事業の概要」について執筆しています(P79〜P81)。糸魚川市駅北大火(糸魚川市大規模火災)は、2016年12月22日に発生し翌日鎮火しました。その1年後の2017年12月22日、糸魚川市では「糸魚川市駅北大火1年事業 糸魚川市駅北復興まちづくりシンポジウム2017」を開催、そこでは、火災を振り返り、今後の復興まちづくりについての方向性が示されました。近代消防2018年6月号に、三舩康道君の「糸魚川市駅北復興まちづくりシンポジウム2017」のレポートという記事が78ページから80ページにわたって掲載されました。そして火災から2年後の2018年12月22日、「糸魚川市駅北大火2年事業 復興まち歩きの日2018」が開催されたのです。今回は、先に2018年7月に視察した火災後1年半後の復興状況も報告しながら、火災から2年後の事業報告をさせていただきたい・・・(中略)・・・2年後の被災地の状況を視察したところ、1年半後の状況に比べて、2年後の状況は、住宅を含め多くの施設が建設され、建物が全体的に多くなってきたという印象でした。特に、1年半後には無かった復興市営住宅のような規模の大きい施設が建設されつつあり、これに入居者が入ると、徐々にまちは賑わいを増し、市営住宅は復興の象徴になると期待されます・・・というような要旨の記事になっています。 |
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◎三舩康道君の執筆紹介 近代消防2019年2月号に、三舩康道君が「UR都市機構による密集市街地の整備」について執筆しています。日本においては密集市街地が残されている地区があって、そこでは4m幅道路や接道されていない住宅などが密集していて、火災が起きると大規模災害に繋がる例が見られました。実際1995年1月の阪神淡路大震災で神戸市長田区が大火災となったり、2016年12月の糸魚川市駅北地区の大火災でその危惧が現実のものとなりました。その後、UR都市機構に市街地の整備を委託して、そのノウハウの活用により、整備のスピードアップ等これまでにない成果が得られてきている事例が出てきています。特に、幅員6m以上の主要生活道路の整備が一段と進んだのは大きな成果です。そこで三舩康道君は、UR都市機構の密集市街地整備部の中村和弘部長及び柳田勉チームリーダーに整備を実施している都内の3地区を案内していただいた内容について詳しく紹介しています。 ◎第5回浅草学(新年講演会)と新年会 今回は10年ぶりに浅草のおかみに話していただきます。前回は「おかみさんパワーでまちづくり」と題して講演していただきました。今回は、その後の10年間のまちづくりをお伺いしましょう。そして新年会にもご参加ください。 |
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〇第8回浅草学(新年講演会) | 〇新年会 |
・日時:2019年1月19日(土)18:15〜19:15 ・テーマ:「続・おかみさんパワーでまちづくり」 ・講師:冨永照子(浅草おかみさん会会長) ・会場:浅草文化観光センター5階、大会議室 ・参加費:1000円 ・定員:60名 チラシ ![]() |
・日時:2019年1月19日(土)19:30〜21:00 ・会場:十和田(すしや通り) ・参加費:5000円 ・定員:25名 |
主催:(NPO)歴史的建造物とまちづくりの会 申込み: [tel] 03-6715-7801 [mail] genes@cube.ocn.ne.jp |
三舩康道君は下記岩手日報紹介記事の如く、建築家として迎賓館の景観問題に取り組み、2006年からの大規模改修を終えた後、一般公開された迎賓館を案内するシニアボランティア説明員を組織し、案内研修のコーディネータとして長い間活躍しています。このボランティアでは在京白堊会メンバーが活躍しています。 右端写真は2018年12月26日学士会館で行われた迎賓館案内ボランティアの勉強会とその後の忘年会で乾杯の音頭をとる三舩康道君 |
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近代消防2018年12月号に、三舩康道君が2篇執筆しています。「東日本大震災から7年後、被災地の復興状況」(74〜79ページ)と、「ど根性ポプラ広場のオープニングセレモニー〜岩手県大船渡市越喜来地区の復興のあゆみ〜」です。このところ三舩康道君は「近代消防」誌には欠かせない執筆者となりました。ということは、いかに災害が多いかということを示しています。 また建築ジャーナル11月号は、特集「コンクリートの命」・・・コンクリートの寿命を決めるとされていた「中性化」の指標が覆ろうとしている。常識を疑い否定する勇気をもった研究者の心ある投げかけが波紋を広げる。劣化の真の主役として注目されるのは「水」である。これが事実なら、水からコンクリートを守ることで中性化の進行といういわば期限付きの指標から、鉄筋コンクリート造建築の寿命を延ばせることになる。生かすのも殺すのもヒトだ。材料に学び理論に基づいた良質な設計と施工、当初の用途に必要以上に縛られないおおらかな改修、そして慈しみ育てるメンテナンスという愛情が、建築を次代につなぐ。コンクリートを知り、コンクリートに親しむ・・・というテーマで、「コンクリートブロック塀は悪者か?」という三舩康道君の執筆が13〜15ページに掲載されています |
![]() 建築ジャーナル2018年11月号 |
![]() 近代消防2018年12月号 |
6月21日(木)NHK「おはよう日本」はかぶりつきで見てました。7:09〜7:12が三舩君の出番でした。東京都品川区荏原4丁目の町会が、防災まちづくりコンサルタントで工学博士の三舩康道君と定期的に地域を回って、危険箇所を調べていることの紹介でした。三舩君は「ブロック塀が安全か、定期的にチェックすることが大切です。特に、学校の周りなど、通学路は念入りに診断する必要があります。都市の中にはブロック塀がたくさんあり、所有者自身も施工状況などについて、点検することが必要だと思います」と話していました。実際テレビ画面ではいかにも危ないブロック塀が随所で見られました。振り返って我がまち周辺でも、見たらあるある、特に古い家の周りにいっぱい危なそうなブロック塀がありました。通学路にもありました。 | ![]() ブロック塀を点検する防災まちづくりコンサルタントで工学博士の三舩康道君(NHKのホームページから) |
あの柳田邦男氏も推薦する、三舩康道君の著作 東日本大震災を教訓とした 新たな共助社会の創造 〜国が4日目からの公助を保証すれば 共助は機能する〜 三舩 康道 著 近代消防社 新書判/192頁 定価(本体1,000円+税)送料130円 ISBN978-4-421-00909-5 C0230 東日本大震災の被災者へのヒアリングによると、被災後の共助は十分には機能していなかった。そこで、大震災発生時等に、「4日目からの自衛隊等による公助」を国が保証することを提案したい。そうすれば、「3日間は食糧と物資の自助」から「3日間は食糧と物資の自助・共助」へ転換することが出来る。そして、自衛隊が来た4日目以降の被災者支援は、炊き出し等による作業の支援に移行する。このような被災者への共助の在り方が描けるようになるだろう。 |
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災害事例研究会会長である三舩康道君が近代消防2017年12月号に「糸魚川駅北の復興まちづくり計画」について執筆しています(定価(本体972円+税)
送料130円です) 2016年暮れ4ヘクタールが被災した大火は皆さん記憶にあるでしょう。 この12月号は、「消防新時代をデザインする」というテーマで、「全国瞬時警報システム( Jアラート)による情報伝達のあらまし」、「第43回全国消防親善ラグビー富山大会」など また2018年1月号685新春特別増大号(税込1,580円)には8月3日の築地場外市場の火災について執筆しています。闇夜に赤い消防ポンプ車の写真がたくさん載っています。最近は記事が多いせいか掲載が遅れがちだそうです。消防の記事が多いことは良いことではありませんが、糸魚川大火でも消防団の活躍で一人の死者も出ませんでした。課題は団員が減っていることです。 |
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第1位 「浅草寺 本堂と五重塔」 第2位 「姫路城 大天守」 第3位 「嚴島神社 大鳥居」 第4位 「東京スカイツリー」 第5位 「東京タワー」 第6位 「伏見稲荷大社 千本鳥居」 第7位 「清水寺 本堂」 第8位 「松本城 大天守」 第9位 「日光東照宮 陽明門」 第10位 「東大寺 大仏殿」 第11位 「あべのハルカス」 第12位 「平等院鳳凰堂」 第13位 「京都駅ビル」 第14位 「白川郷 合掌造りの家屋」 |
第15位 「三十三間堂(蓮華王院 本堂)」 第16位 「明石海峡大橋」 第17位 「黒部ダム」 第18位 「東京駅丸の内駅舎」 第19位 「モード学園 コクーンタワー」 第20位 「成田山 新勝寺 三重塔」 第21位 「GINZA KABUKIZA」 第22位 「GINZA SIX」 第23位 「国立代々木競技場」 第24位 「鹿苑寺 舎利殿(金閣)」 第25位 「伊勢神宮 社殿」 |
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◎三舩康道君が第18回震災対策技術展で講演
2014年2月6日(木)10時半〜 パシフィコ横浜アネックスホールF会場 ジェネスプランニング梶@詳細は→コチラ
三舩康道君が2011年8月末に「東日本大震災からの復興覚書」という本を出版しました。大船渡市の戸田市長、宮古市の山本市長、岩手県の達増知事に贈呈しています。
第16回震災対策技術展 横浜で開催される震災対策技術展に、災害事例研究会主催のシンポジウム開催! ●テーマ:東日本大震災からの復興について ホームページ ●日時:2012年2月2日(木)15時〜16時半 ●会場:パシフィコ横浜(最寄駅:みなとみらい線「みなとみらい」) ●パネリスト:柳田邦男氏、関澤愛氏、三舩康道氏 |
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三舩康道氏:ジェネスプランニング(株) 代表取締役社長 東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、工学博士、技術士(総合技術監理・建設部門)、一級建築士、希望郷いわて文化大使、スマトラ島西方沖地震・インド洋津波・バンダアチェ市復興計画特別防災アドバイザー、著書:「東日本大震災からの復興覚書」(共著)万来舎、「防災と市民ネットワーク」学芸出版社、「地域・地区防災まちづくり」オーム社等 |
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関澤 愛氏:東京理科大学大学院 教授 1972年京都大学大学院建築学専攻修士課程修了、自治省、現在の総務省消防庁消防研究所、米国国立標準技術研究所客員研究員、消防研究所上席研究官、東京大学大学院特任教授を経て、2010年より東京理科大学大学院国際火災科学研究科教授。内閣府の中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」や東京消防庁の火災予防審議会委員をはじめ、各種調査検討委員会の委員。主な著書は「新版 建築防災」、「住まいと暮らしの安全」など |
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柳田邦男氏:ノンフィクション作家 東京大学経済学部卒業、NHK記者を経てノンフィクション作家、東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会委員、著書:「『想定外』の罠ー大震災と原発」文芸春秋 、「ボランティアが社会を変える」(共著)看護出版、「阪神・淡路大震災10年」岩波書店等 |
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◎三舩康道君がまたまた新聞種に!?その5
2011年10月26日、朝日新聞に三舩康道君が会長の「歴史・文化のまちづくり研究会」による都庁での写真展が掲載されました
◎三舩康道君がまたまた新聞種に!?その4 三舩康道君の活動が新聞(岩手日報2011年4月10日版)に掲載されました。4月9日に東大で開催された災害事例研究会の内容です→クリック(pdf) ![]() このページや、「お知らせ」のページで過去たびたびご紹介してきましたが、元々は東大の建築工学の方々が中心になって始めたものらしく、警視庁鑑識課OBや東京消防庁、ゼネコン、災害関係の研究所、保険会社、セコム、大学の先生など、災害と安全に関わる様々な人たちが会員となって、会場を借りるために毎回1,000円の会費を拠出し、月1回土曜日東京大学に自腹で交通費を払ってやってきます。奇特な人達ですが、ここで得た知見を、「震災対策技術展」という展示会でシンポジウムを行って紹介しています。ちなみに2009年には東海地震の懸念される静岡市で開催し、このときの登壇者は、村上處直氏、佐取朗氏、柳田邦男氏、三舩康道氏でした。災害に関して詳しい人は知っているメンバーのはずです。現在は潟Wェネスプランニング代表の三舩康道君が会長を務めています。会長の関係で弗田君と澤藤が引っ張り込まれています。弗田君は生命保険屋さんですから少しは関係あるでしょうが、澤藤は全く業務上災害には関係しない、したくないのですが・・・。本郷キャンパスの学士会館分館が使えなくなり、三四郎池脇の山上会館に会場を移しましたが、かなり奥のほうなので、2011年4月からは東京メトロ南北線「東大前」駅下車徒歩1分、農学部の正門入って、すぐ左の弥生講堂アネックス・エンゼル研究棟・講義室に移ることになり、最後の山上会館開催が3月12日の予定でした。あの地震で3月11日夜事務局からメールがあり、定例会中止・・・当然ですね。ところが事務局とは三舩康道君の会社で、これがまた耐震基準改訂前のビルの中にあり、避難していて、やっと事務所に戻ってきてメールしたとのこと、災害事例研究会の事務局がそういうことでは???ですが、先立つものが??? なお、2012年現在、会場は山上会館に戻っています。 もしご興味ある方は、三舩康道君にご連絡下さい。 ◎三舩康道君がまたまた新聞種に!?その3 ◎三舩康道君がまたまた新聞種に!?その2 ![]() ◎三舩康道君がまたまた新聞種に!? |
「孤軍の城」 〜武田・織田の間で戦国女性おつやの方は?〜
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森田健二君は2021年10月25日(月)ご逝去されました 在京白堊会の昭和43年次幹事として澤藤隆一とともに務めておられました 皆様ご存知の如く盛岡一高から東京大学に進み 卒業後農林水産省に勤務されました 1999年玉澤徳一郎氏が農林水産大臣だったときには 事務次官が高木勇樹氏 審議官が熊澤英昭氏の時代 統計情報部流通消費統計課長や生産統計課長を歴任されました その後生研機構や横浜植物防疫所長など色々な部署で活躍されました 農水省退官後は(社)日本植物防疫協会常務理事に就任されました 最後は植物防疫資料館の館長を務められました 植物防疫技術発展の歴史の中で ともすれば忘れ去られ 散逸しがちな資料や記録をとりまとめ 後世に残すことをねらいとして作成された資料館史料の最後は史料15「昭和10年代の植物防疫」(森田健二著・2016年12月)です ![]() お役人だったので口が堅く 決して他人の悪口は口にしないばかりか 常に冷静に物事を語る真摯なお人柄でした 犬を可愛がり なかなか旅行に行けないよと口にしておられました 頭が良いだけでなく 実は運動能力も高い人でした これから人生を楽しむばかりか 色々な面でまだまだ世の中に貢献して頂けるものと思っていましたのでまことに残念です ![]() 2017年5月13日(土)在京白堊会総会で |
![]() 植物防疫資料館史料15「昭和10年代の植物防疫」 |