岩手県立盛岡第一高等学校1968年(昭和43年)卒

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このページは2001〜2004年度在京白堊会の模様です

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2005〜2009年の在京白堊会の模様はクリック

2004年度在京白亜会総会2004年5月8日(土) アルカディア市ヶ谷で開催された

今年は昭和47年卒が幹事でした。のページに結果が掲載されています。

 

47年卒小松正之氏の講演:鯨の話、面白かった          会場には鯨料理が。刺身もうまかった   

小松正之氏の講演内容 → クリック

 

会場風景

               

     及川昭伍会長挨拶          来賓祝辞 盛岡一高校長    来賓祝辞白堊会会長八角正司氏  馬場 信事務局長の会務・会計報告

 

 

43会の出席者は今松英悦、大澤邦雄、木村正明、佐々木(三浦)美枝子、澤藤隆一、玉澤 健児、戸来年樹、三船康道、森田健二の9名でした。

柳内 久俊くんは現れず。

及川会長を囲んで

2次会は42会(下写真)メンバーと合同で

2003年度在京白亜会総会2003年5月10日(土) アルカディア市ヶ谷で開催された

今年は昭和46年卒が幹事でした

第32回は2001年5月11日(金)、ホテルフロラシオン青山にて開催、第33回は2002年5月11日(土)、アルカディア市ヶ谷にて開催、そして第34回は2003年5月10日(土)、アルカディア市ヶ谷にて開催、すなわち我ら43会が主催した第31回もホテルフロラシオン青山(表参道)であってこれは伝統的かと思っていたら45年次がアルカディア市ヶ谷に変えたということ。その昔は原宿の東郷記念館だったよね。
第一部 遊座昭吾先生講演会 今年新春盛岡白堊43会にお見えになった遊座先生、ますますご壮健で結構です
  『白亜の肖像 啄木・賢治』 16時から 講演内容は詳細に在京白堊会HPから別ページにリンクされて紹介されております
第二部

総会および懇親会 17:45からサロン・コンサート:歌唱 46卒 生平 祐司氏 ピアノ伴奏で「初恋」、「ます」、「忘れな草」など(プロフィール: 46卒、東京芸大声楽科卒業)

余興:フォーティワン46年卒バンド演奏) バンドの名前の由来は→41歳で結成したからだそうです

日    時 2003年5月10日(土)午後4時から。当日の模様は在京白堊会HP、また疾風会のページではムービーも見られます
会    場 アルカディア市ヶ谷(旧私学会館)

昭和43年卒集合、アレ?ひとり足りないな

左端:Y(S)雪江さん、中央:久々のY益矢君

K正明君はこの会最近常連だね

左端:O邦雄君   H年樹君:右端

楽しそうなY(S)雪江さんとその前のデカイ顔のI英悦君

   

         (左)田口校長のご挨拶         (右)遊座先生とともにK律子さんとOのぶ子さん

演奏する昭和46年卒バンド ”フォーティワン” バンドの名前の由来は→41歳で結成、紅一点は旭澤(勝) 真理子さんで我らが同期の奥様である

遊座先生と”フォーティワン

最後のエール


2002年度在京白亜会総会2002年5月11日(土) アルカディア市ヶ谷で開催された

2002年5月11日(土)アルカディア市ヶ谷(東京都千代田区九段北)にて「文化の香高き」在京白堊祭が開かれた。

集まったのは230余名、昭和45年卒年次の幹事にて開催された。従来と会場を変え、アイデアを凝らし、45年卒49名の大量出席で支えた。

ドタキャン40台、飛び入り30台だったそうです。

[第1部]太田愛人さん (昭和20年卒)の講演 『野村胡堂をめぐる白堊友情史』     (太田愛人著書)   司会:田中有子さん

[第2部]司会:森田彰子さん(我らが同期森田健二君の奥様です)とどなたか男

1.演奏会

    米谷(マイヤ)毅彦さん (昭和55年卒) の声楽 バリトン(二期会公演)と、森 知英さん (昭和63年卒)のピアノ演奏のミニコンサート

大変素晴らしい演奏、歌唱でした。
@ビゼー作曲オペラ「カルメン」より闘牛士の歌      歌唱:米谷毅彦、ピアノ伴奏:森 知英

Aピアノ独奏:ショパン作曲「ワルツ第5番」            森  知英

B橋本國彦作曲「お六娘」                                  歌唱:米谷毅彦、ピアノ伴奏:森 知英

なお森 知英さんは現在ベートーベン全曲コンサートツアーの真っ最中です。皆さん是非コンサートにお出掛けください。詳細は森 知英さんのホームページをご覧下さい。

2.在京白堊会第33回定期総会

@会長挨拶                在京白堊会会長          及川昭伍(昭和25年卒)

A議事、会務報告        在京白堊会事務局長   馬場 信(昭和41年卒)

[第3部]懇親会パーティ

@来賓祝辞                盛岡一高校長             三田信一

A乾杯                      白堊会会長                八角正司

B立食パーティ

C余興                      長編歌謡浪曲「俵星玄蕃」

D校歌斉唱                なんと!四番までフル熱唱。余勢を駆って第一応援歌「あの輩は何者ぞ〜」、第八応援歌「干戈交ゆる幾星霜〜」

E幹事挨拶               加藤文也(昭和45年卒代表)〜次年度引継ぎ…岩泉 宏さん挨拶、なんと昭和46年卒からただ一人の参加!

昭和45年卒の皆さんが幹事年度でした。写真などは→在京白堊45会のホームページをご覧下さい

我同期からは11名の参加でした。詳細コメントは後述とします。

今松英悦、大澤邦雄、木村正明、熊谷次郎、佐々木(三浦)美枝子、澤藤隆一、鈴木直幸、玉澤健児、邨野継雄、森田健二、柳内久俊

左よりK正明、K次郎、S隆一、T健児、

左よりY久俊、I英悦、M継雄、S直幸、M健二、

左よりS隆一(ひっつみを食べている)、O邦雄、S(M)美枝子

   2001年度在京白亜会総会2001年5月11日(金) ホテルフロラシオン青山で開催された

第32回(実はこれ33回が正しいのだそうだ。20周年の次の年に第21回としてしまったのが間違いの始まり)在京白亜会総会は5月11日(金)18時〜 ホテルフロラシオン青山(表参道)で開催された。200人以上が集まり、昨年に増して盛会であった。幹事代表は昭和44年卒の佐々木 裕 氏であり、応援団長だっただけに赤Mの旗を振る姿も見事であった。実は彼、我が同期の美枝子さんのご主人である。そんなわけで43会メンバーも一戸裕子、今松英悦、大澤邦雄、川村正明、熊谷次郎、佐々木美枝子、澤藤隆一、鈴木直幸、玉澤健児、藤島義高、戸来年樹、宮澤英裕、村野継雄、柳内久俊、吉田博夫、そしてなんと木村正明が初参加、全国を転々として板橋区蓮根の山之内製薬へ転勤してきて出れるようになった。16名の参加は44年次を支援する意味で良かった。

昭和44年卒の皆さんが幹事年度でした。

在京白亜会のホームページはこちらをご覧ください 

   2000年度在京白亜会総会

我ら昭和43年卒が幹事でした。しかし画像がありません
我らが幹事年の2000年の第31回総会は2000年5月12日(金)フロラシオン青山で行われ、二百数十名の参加で、母校から三田信一校長も参加、アトラクションでは新校舎や今年の新入生の応援歌練習風景を紹介したビデオが上映されるなど、幹事年次のアイデアをこらした企画で盛り上がりました。締めは恒例の校歌放吟。参加者一同、高校時代にタイムスリップし、楽しい時間を過ごしたと「在京白堊会報第9号に載っています。盛岡から谷藤文明代表幹事以下十数名が駆けつけて、大役勤め上げた二次会では皆で肩を組んで「ああ愉快なり」を歌ったとあります。このホームページもこの総会を機に立ち上げました。ただし2001年以降しか画像が無く、2000年の総会の写真はありません