「日本の食文化と鯨」

講師 : 水産庁増殖推進部漁場資源課長 小松正之氏(昭和47年卒)

平成16(2004)年5月8日(土) 「アルカディア市ヶ谷」

  面白い話であった。今年の幹事年度である昭和47年卒、小松正之水産庁漁場資源課長の鯨の話である。彼は商業捕鯨再開について日本の代表的存在で、岩手の海辺、陸前高田に生まれ、東北大学卒業後水産庁に入り、米国エール大学でMBA取得、2004年には東京大学より博士号を得ている。『クジラと日本人』、『クジラは食べていい!』など、2000年より年1冊ペースでクジラ関連書籍を出版している。2冊は英訳もされている。

 日本外交は3Sと外国から揶揄されている。Smile…ニタニタ笑っている、Silent…声高に主張せず寡黙である、Sleep…あろうことか居眠りしている。これが事実かどうか別にして全く逆のタフ・ネゴシエータとして国際的に有名な小松氏の話は日本人に勇気と自信を与えてくれる。

 以下、小松氏の講演を聞き、また配布資料を見てまとめたので、正確に小松氏の言葉を反映したとは言いきれないことをお断りしておく(文責:澤藤隆一)。

 2003年ブリタニカ国際年鑑人間の記録(世界の50人)にも選ばれた彼はなぜそんなに海外から注目されるのか?ブリタニカ国際年鑑によると、小松を選んだ理由は次のような理由からだそうだ…2002年に下関で行われた国際捕鯨委員会(IWC)総会において日本代表団の一員として資源論に則った海洋生物の「持続的利用論」を展開し、多数派の欧米諸国の非科学的捕鯨禁止論に立ち向かい、一歩も引かず、日本の正当性を内外に印象付けた。この模様は全国にTV放映された。発言をさえぎろうとする議長に対し、彼は日本の首席代表の手からマイクをもぎとって「話は終っていない。レット・ミー・スピーク!」と絶叫し、会議の主導権を取ったこと、アメリカやロシアなど4ヶ国の原住民の生存捕鯨を認めて日本の沿岸小型捕鯨を認めないのは「ダブルスタンダードだ、認められない」と突っ張ってエスキモーの捕鯨を否決するなど、米国に対しても一歩も引かぬどころか科学的データを示して攻撃的に日本の主張を展開した。下関会議の会期中、農水省に届いた応援メールは2万通に達した。通常の日本人なら舌禍とも感じられるほどの威力的発言力の背景には、「行政として水産業の健全な振興に貢献しようとする情熱」の並外れた強さがある。事実、小松が水産庁の捕鯨担当となって以降、それまでの防戦一方から攻勢に転じて調査捕鯨を拡大、5ヶ国しかなかった仲間の国を今や20ヶ国以上に増やし、IWCの半数まで持ち上げた。2002年課長に昇進したとき、「出る釘は打たれる日本の官僚組織にあって異例の出世をして大方の反捕鯨団体をガッカリさせた」と「ニューヨーク・タイムズ」紙が報道した、ということからである。

 こうした小松に対し、グリーンピースに代表される反捕鯨団体はにっくき敵と捉えている。一方日本マスコミは頼もしい役人として好意的である。2002年10月19日付けのニューヨーク・タイムズ紙は小松が鯨料理を食べる写真を大きく掲載してその写真の題に"You eat cows and drink beer. We eat whales and drink sake." という米国人に対する小松の持論を付けて紹介している。この記事の題は"An Environmentalist Who Loves to Eat Whales" である。主な内容は…寡黙の国日本の中で相手に対して面と向かって挑戦する小松氏は「出る釘」だが彼を引っ込ませることはできない。IWC下関会議ではアメリカと日本の対立があり、それぞれ原住民生存捕鯨と沿岸捕鯨を求めた。アメリカが主張したのは自国のエスキモーによる生存捕鯨の継続、それに対して、エスキモーに捕鯨を認めるなら日本にも同様の措置をとるのが当然であるとの主張を小松氏は崩さなかった。票決の結果、小松氏の主張が通り反捕鯨国代表団は怒り狂った。苦々しくワシントンに帰った米国代表団だが、アメリカ政府は小泉内閣に外交圧力を加えた。だが国民的歌手のように絶大な人気のある小松氏の立場は不動であった。しかし、その後英国ケンブリッジで開かれた特別会議の結果としてエスキモーの捕鯨は認められる形になった。内容的には小松を評価する記事の印象だ。米国マスコミというのは例え米国に対して反抗的であっても科学的主張をするような人にはフェアな立場をとるのが大したものだ。

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この講演で印象的だったことをいくつか揚げる。

@下関会議で日本はエスキモーの捕鯨を禁止せよと主張したのではない。日本近海で捕鯨できず、クジラが溢れかえっている一方で、エスキモーの捕獲するクジラは絶滅の危機にあり、これは明らかに矛盾しておりアンフェアだ。アメリカは「エスキモーの捕鯨は伝統があるからやってもいい」と自国の主張を正当化した。逆に言えば、日本の捕鯨は伝統がないからしてはいけない、ということだがこれはおかしい。そもそも沿岸捕鯨の伝統は日本の方が長い。縄文時代の貝塚からもたくさん出土しているし、江戸時代には5千頭食べていたから、今の日本人より1人当たり24倍も食べていた。しかも日本では食文化として定着していたクジラを100パーセント活用し捨てるところが無い。エスキモーは皮しか食べない。米英は過去たくさんの船を出して捕鯨を行い、世界のクジラ資源を減らした実績がある。彼らの乱獲の目的は灯明や機械に使う鯨油であり、ヒゲは利用したが身は海に捨てた。油田が発見され、彼らは儲けにならない捕鯨を投げ出した。「捕鯨をするな」という彼らの主張は「クジラ保護」のためではない。彼らは儲からないからやめただけだ。かわいいクジラを残虐に殺すなというのならかつての彼らの捕鯨はいったい何だったのか?牛や豚はかわいくないのか?米国もオーストラリアも広大な牧場を持つ畜産国だ。日本のような狭い島国とは違って、鯨肉を食べなくても良い。幕末になると、クジラを追って日本近海までやって来たアメリカ人が、遭難者の引き渡しと薪炭、食料、休憩所を求めて、日本に勝手に上陸することがたびたびあった。米国にとって捕鯨のために日本に開国を迫る必要があった。ペリー艦隊はクジラのために日本にやってきたということは昭和になるまで知られていなかった。紆余曲折を経て幕府は開国を決意し、その際に捕鯨船に対する薪炭の援助を約束した。下田と函館が開港するが、なぜ函館かというと、彼らは日本海での操業も行っていたため、中継地には最適だったからだ。日本近海で過去クジラが減ったのはアメリカのせいとも言える。戦後マッカーサー元帥は日本の食糧難の対策として南氷洋まで行って捕鯨することを推進した。

Aクジラはヒゲクジラとハクジラに分かれる。またIWCは大型鯨類と小型鯨類に分類し、大型を管理対象としており、一番大きいのはシロナガスクジラで全長20m以上、体重は100〜150トンに達する。シロナガスクジラやナガスクジラは過去の乱獲で激減した。小さいのはミンククジラで体長8m、5〜8トンである。南極海にミンククジラはなんと76万頭もいて、すごく増えている。小型鯨類はIWCの管理対象外なので捕鯨しても良い。小型鯨類のツチクジラは体長10m、9〜13トンもあってミンククジラより大きいのに何故小型なの?と思われるだろう。その答えは簡単、IWCがそう決めたのだ(笑)。ただツチクジラは豊富なミンククジラと違って資源量が少ないので、日本として自主規制している。ではイルカとクジラはどう違うのか?答えはイルカもクジラで、体長4m以下をイルカと言う。こういうことは結構皆さん知らない。種は同じなのだ。クジラが世界の海面漁業生産量の約3〜5倍の海洋生物を食べているとの調査報告があり、クジラと漁業の競合が深刻な問題となっていることが世界各国から報告されている。地球温暖化の影響もあるが、日本の真イワシ漁獲量は激減している。沿岸漁業そのものが1980年代ピーク時の半分以下となり、周辺産業含め衰退が激しい。一方、日本周辺の多くのクジラは年率4%程度増えている。サンマやサケは増えているが、ノルウェーのサケに比べて三陸の鮭はダイオキシン含有量が1/30だ。皆さん是非安全な三陸の鮭を食べて欲しい。

B現代の西洋社会にとってクジラは愛玩と自然(資源)保護、環境保護運動のシンボルとなっている。もともとクジラを食べない国と日本やノルウェー他世界各国のクジラを食べる国では考え方が全く違う。米国の主張はムチャクチャだ。こちらがデータを示してもそれを認めない。だから日本を支持する国がジワジワ増えてきた。あるとき米国の長官に対して「我々の言っていることが正しいことは米国商務省のホームページを見ればすぐわかる。世界には100万頭のミンククジラが生息しており、マッコウクジラ(体長15m、30トン)は200万頭生息していると書いてあるではないか」と言った。そうしたら長官は珍しく「わかった。善処する」と言った。翌日になって善処の意味がわかった。なんとホームページからその部分の記述が抹消されているではないか。このように、ことクジラに限っては米国は白を黒と言う国で、こういう相手にはおとなしくしていてはいけない。言うべきかどうか迷ったときは言わなければならぬ。今IWCで商業捕鯨再開の是非の国数は半々まで来たが、理屈が通じない相手を向こうに回して3/4以上の賛成を得るのは外交交渉ではもはや限界と思う。これ以上は政治的交渉しかない。それも米国との直談判が必要で、今の世界では米国がYesと言えばOKになるのだから。