在京白堊43会 |
岩手県立盛岡第一高等学校1968年(昭和43年)卒 |
想い出の白堊43会 在京白亜43会は、小川英三君(写真前列左の村山君、その右の故黒川(水原)徳子さんの右側のメガネのヒト。コチラにも写真があります)の尽力で始まりました。この頃はまだ大澤君は来てませんでした。澤藤は初回から参加しています。下の写真をご覧下さい。みんな若いね!誰が誰だかわかりますか?恐らく卒業後10年頃のこの写真の中で、2024年8月現在で亡くなった方は6名です。在京白堊43会にその後出て来るようになった方の中で10名以上が既にこの世の人でないことを考えますと、この写真に写っている方は生存率が高いですね。最前列で寝転んでいるのは故桐生久士君です。桐生君の後ろで顔が分からないのは欽ちゃんでは?中央研二君と雄幸君の間が麗子さん、その後方に旦那の伸雄君、左後方種子君の左が故村上章夫君、故沼川武志君と大船渡へ帰った戸田公明君、退会した渡辺勝君もいますね。イチバン高いところにいるのは藤島君、一番左の谷藤君は岩手で先生した後どうしてるかなぁ。右側赤いカーディガン及川のぶ子さんの左が故宮澤英裕君です。その後ろが背の高い阿部進君だね。その左は故小川啓二君かな?右は下田君でその右、道子さんの影は一関(花泉)で農業している佐々木勝裕君かな?あさ子さんやけい子さんも見えますが、蓉子さんや極子さんや康江さん、峰子さんは懐かしいね。左の裕子さんや千尋さん、恵美子さん(宮城県)はその後も参加されてるけれど…。浦田君や友夫君、研二君もその後来ないね。 最新の在京白亜43会は
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