東京2002写真集その3

2002年2月2日(土)東京都港区虎ノ門パストラル写真集


U裕一、I裕子、M継雄、Y啓一、O眞理  みんないい歳になったな〜
O眞理君は、大阪から東京に戻った。
Y啓一君はナント初参加!そしてこの会を知った経緯がふるっている。何のためか聞きそびれたが、「白亜紀、ジュラ紀」のあの古代のことをインターネットで調べていたら、このホームページに辿り着いて、「あら、これはまた懐かしい」ということになって参加する申込みをしたそうな。
I裕子さんはバイオ図書出版社を経営している。

H健秀、K(S)律子、U裕一、I裕子、Y(S)雪江
こういうところにチャッカリ嵌まる男、 U裕一君も2年目の登場でコツわかってきた?写真というものは面白い。中央に収まろうと顔だけが中央に寄る。K律子さんは姿勢が良いですな。
U君はインターネットでの情報サーチャーとしても活躍している。インターネットのプロともなるといちいちhttpなど入力しない。上記の
Y啓一君のように調べたいことを入力して探していくが、問題はその調べ方、検索エンジンである。この方法について研究している人たちを情報サーチャー』と言う。

M継雄、M健二、S勝裕、I英悦、右奥にY啓一
『エール用意!』と言っているわけではありません。
S勝裕君は長年の海・E・Cの代表取締役を退いて花泉町へ戻り農業に従事、紹介パンフレットを配布するため手に持っている。日本農業のために頑張れ!
M継雄君はフリージャーナリスト、海外にも行く。ひとの心を打つ名文を書く。朝日新聞社から発行された「心の音楽(うた)を奏でよう」という本は感動的。高校時代は応援団。最近は週間朝日の関係だったか、『旅:世界100都市』という企画で日本航空の関係者を取材、それを記事にする仕事をしている。スチュワーデスも取材するらしいぜ。
健二君は農水省からいろいろ・・・

Y行男「オレようわからんけどヤッパリ新聞の論説書くのも神経いるんだろ?」
I英悦
「いやま〜寿司を握るのと同じさ。経済もシャリとネタ、温度と新鮮さ、そして握るヒト、これで変るんだよ」???
(と言ってるかどうか責任は持ちません。どうしても知りたい人は毎日新聞にTELして下さい)

(後列)Y久俊、S寛、Y博章、Y行男
(前列)赤シャツの格好良いM健二、一瞬真面目な顔になるN洋一
久俊君は銀行の関係でいろいろな会社を転々
S寛君は信州大学の教授、ロシア文学。名士を生み出した松本の地で頑張っている。
博章君は早稲田大学大学院の修士論文を出したばかり。コンサルタントとして世界を飛び回っている、ODA戦士。
行男君は日本HPからDellジャパンへ移り、飛び出てアキア設立に参画、その後SOTECに移り、またHPに戻ったという異色の経歴の持主。世の中に転籍数々あれど、グルッと回って元に戻る人間はザラにゃあ居らんでしょうと、その実力者振りを誇示していた。

K正明、Y博夫、Y(S)雪江
みんな手に何か持ってるネ(手持ち無沙汰?老眼鏡?Y君はマイクロマシン?)
Y(S)雪江さんは久し振りの登場。国際協力に従事しているので今大変では。ODA、ムネオ問題・・・関係ない?
正明君はN製紙グループだったかな?

1年振りに話も弾むS雄幸S孝道
パーティ会場の料理は話に夢中のあまり、いつも余ります。あまりたくさんありましてもいかがな物かと思うのでありますが…。
それに比べて水割りとか飲み物の方は係が超多忙、みなさんよく飲みます。
宴会方式のセット料理とパーティ方式のバイキング料理の双方の良さ/悪さを考えて、食は十分に、残滓少なく、久し振りに会う人との会話にも時間を取れる効率的同窓会セットを売り出せば、間違いなくヒットすると思います。ホテル関係、レストラン関係の皆様はこれをヒントに頭をひねってみてはいかがでしょうか?

K次郎、Y博夫、澤藤隆一
Y博夫君は日本の技術研究の最高峰でマイクロマシンの研究に従事、明日の日本を支える人です。
K次郎という名前は熊谷市周辺では有名です。そう、今からおよそ800年ぐらい前の鎌倉時代に武蔵武士としていろいろな手柄をたてて活躍した、熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)です。 あの一ノ谷(兵庫県神戸市須磨区)の合戦で敵方の平敦盛公の首を取ったことは、歌舞伎などでもよく知られているところです。
当ホームページ管理人澤藤隆一三基計装という、クリーンルームや恒温恒湿室の設計・製作・施工、農業用施設園芸ハウスの環境制御機器メーカーに勤めています。

「俺が写真撮ってやるぜ」と構えるM継雄、右にS寛、左奥にI民雄

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